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「滝口入道」灰塵(その1)

滝口入道、都に来て見れば、思ひの外なる大火にて、六波羅、池殿、西八条の辺りより京白河四五万の在家、まさに煙の中にあり。洛中の民はさながらきやうせるが如く、老を負ひ幼を助けて火を避くる者、わづかの家財をたづさへて逃ぐる者、あるひは雑踏の中に傷つきて助けを求むる者、あるひは連れ立ちし人に離れて路頭に迷へる者、いづれも容姿を取り乱して右に走り左に馳せ、叫喚呼号けうくわんこがうの響き、街衢がいくに充ち満ちて、修羅のちまたもかくやと思はれたり。ただただ見る幾隊の六波羅武者、ひづめの音高く馳せ来たりて、人波打てる狭き道をば、容赦もなく蹴散らし、指して行方は北鳥羽の方、いづこと問へど人は知らず、平家一門の邸宅、武士の宿所、残りなく火中にあれども消し止めんとする人の影見えず。そも何事の起これるや、問ふ人のみ多くして、答ふる者はなし。全都の民は夢に夢見る心地して、ただただ心安からず恐れ惑へるのみ。




滝口入道(斎藤時頼ときより)が、都に着いて見ると、思いの外の大火で、六波羅、池殿(六波羅にあった平頼盛よりもりの邸宅)、西八条(平清盛の邸宅)の辺りから京白河(京都市北東部)の四五万の在家にいたるまで、火に包まれていました。洛中([京中])の人民はまさに狂ったかのように、老人を老い幼い者の手を引いて火から逃れていました、わずかな家財を身につけて逃げる者や、雑踏の中で傷ついて助けを求める者、または連れ立った者と離れて路頭に迷う者、誰もかれも心の落ち着きを失った様子で右往左往し、泣き叫ぶ声は、街衢([街中])に充満して、修羅([阿修羅の住む、争いや怒りの絶えない世界])の世界のように思えました。ただただ見るだばかりの六波羅武者が、蹄の音高く急ぎやって来ては、人で溢れ返った狭い道を、容赦なく蹴散らして、北鳥羽(今の京都市南区上鳥羽)の方を目指して通り過ぎました、どこへ向かうのか聞いても誰も知らず、平家一門の邸宅、武士の宿所は、残りなく火に包まれていましたが消し止めようとする者の影は見えませんでした。いったい何事が起ったのかと、聞く人は多くいましたが、答える者は誰もいませんでした。都中の人民たちは夢の中の夢のような心地で、ただただ不安で恐ろしくてどうしてよいのかわからないようでした。


続く


by santalab | 2014-03-07 15:47 | 滝口入道

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