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「滝口入道」散花(その4)

路傍の家に維盛これもり卿が事それとなしに尋ぬれば、狩衣着し侍二人、麓の方に下りしは早や程過ぎし前の事なりと答ふるに、いよいよ足を速め、走るが如く山を下りて、路すがら人に問へば、尋ぬる人は和歌の浦指して急ぎ行きしと言ふ。滝口胸いよいよとどろき、気も半ば乱れて飛ぶが如く浜辺を指して走り行く。雲にそびえる高野の山よりは、眼下に見下ろす和歌の浦も、歩めば遠き十里のさと路、元より一刻半の途ならず。日は既に暮れ果てて、おぼろげながら照り渡る弥生やよひ半ばの春の夜の月、天地を差す青紗せいしやの幕は、雲か煙か、はた霞か、風雅のすさびならで、生死の境ひに争へる身のげに一刻千金の夕べかな。夢路を辿る心地して、滝口は夜もすがら馳せてやうやく着ける和歌の浦。見渡せば海原うなばら遠く煙籠めて、月影ならで物もなく、浜千鳥声絶えて、浦吹く風に音澄める磯馴そなれ松、波の響きのみいと冴えたり。入りにし人の跡もやと、ここかしこ彷徨さまよへば、とある岸辺の大きなる松の幹を削りて、夜目にもしるき数行の文字。月の光に立ち寄り見れば、「南無三宝」。「祖父太政大臣平朝臣清盛公法名浄海じやうかい、親父小松内大臣左大将重盛しげもり公法名浄蓮じやうれん、三位中将維盛盛年二十七歳、寿永じゆえい三年三月十八日和歌の浦に入水じゆすゐす、従者ずさ足助あすけ二郎重景しげかげ二十五歳殉死す」。墨痕淋漓りんりとして乾かざれども、波静かにして水に哀れの痕も残らず。滝口は、あはやとばかり松の根元に伏しまろび、「許し給へ」と言ふも切なる涙声、哀れを返すいづこの花ぞ、行方も知らず二片三片ふたひらみひら、誘ふ春風は情けか無情か。




路傍の家に維盛卿(平維盛)のことをそれとはなしに訊ねると、狩衣を着た侍二人が、麓の方に下って行ったのはもうしばらく前のことだと答えたので、滝口(斎藤時頼ときより)はますます足を速めて、走るように山を下りて、路すがらの人に訊ねねました、尋ね人は和歌の浦(今の和歌山市南部の海岸)を目指して急いでいたと答えました。滝口はますます胸騒ぎを覚え、正気も半ば失って飛ぶように浜辺を指して走りました。雲にそびえる高野山からは、眼下に見下ろせる和歌の浦でしたが、歩けば遠い十里(約40km)の道のり、一刻半(小一時間)の間に着くような所ではありませんでした。日はすでにすっかり暮れて、おぼろ月が空を照らしていた弥生([陰暦三月])半ばの春の夜のことでした、月が照らす青紗([青色の薄衣])の幕は、雲か煙か、それとも霞かと、風雅([みやびな趣])のすさび([興])と見る余裕もなく、生死の境を争ってわずか一時も惜しむ夜でした。滝口は夢路を辿るような心地で、夜通し走ってやっと和歌の浦にたどり着きました。見渡すと海原遠くに水煙が立ち込めて、月の光のほかに何もありませんでした。浜千鳥の声も絶えて、浦を吹く風に音を立てる磯馴れ松([潮風のために傾いて生えている松])と、波の音だけが聞こえるばかりでした。二人(平維盛と足助重景)が訪ねた跡を探して、あちらこちらとさまよい歩くと、とある岸辺の大きな松の幹を削って、夜目にもはっきりと分かる数行の文字がありました。月の光を頼りに近付いて見て、「ああ遅かったか」。「祖父太政大臣平朝臣清盛公法名浄海、親父小松内大臣左大将重盛公法名浄蓮、三位中将維盛盛年二十七歳、寿永(1184)三年三月十八日和歌の浦にて入水す、従者足助二郎重景二十五歳殉死す」と書かれてありました。墨の跡淋漓([水・汗・血などが、したたり流れるさま])としてまだ乾いていませんでしたが、波は静かで水に悲しみの痕も残っていませんでした。滝口は、ああしまったとばかり松の根元に倒れ込んで、「お許しくださいませ」と思いを切にして涙声で口走りました、まるで悲しみの返事を返すかのようにどこから飛んで来た花なのでしょうか、行方も知らず二片三片と、さまよっていたのは情けそれとも無情の春風だったのでしょうか。


続く


by santalab | 2014-03-07 23:08 | 滝口入道

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