京方、橋の板二枚引きて、山門の大衆三千余人、十重二十重に群集して、橋の上にも下にも兵船三百余艘、波を穿つて三方より射る間、堪へつべうぞなかりける。駿河の次郎、馬より下り立つて三方を射る。小川の左衛門と言ふ郎等ら、「大将手を砕き戦ふ事や候ふ」と制しけるが、泰村が矢に敵の騒ぐを見て、「さらばここ射給へ、あそこ遊ばせ」と言ひけり。
京方は、宇治橋の橋板を二枚引いて、山門(比叡山)の大衆([僧])三千人余り、幾重にも重なり集まって、橋の上流にも下流にも兵船三百艘余り、波を切り裂いて三方より矢を射たので、防ぐことができるようにも思えませんでした。駿河次郎(三浦泰村)も、馬より下りて三方を射ました。小川左衛門という郎等([家来])たちは、「大将(三浦泰村)が手を下し戦うことはございません」と制しましたが、泰村が放つ矢に敵が驚き騒ぐのを見て、「ならばここを射てください、あそこを射てください」と言いました。
(続く)