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熊野法師・小松の法印五十余騎にて来たりけるが、射散らされて引き退く。板東方も多く討たれ手負ひければ、足利も駿河の次郎も引き退きて、平等院に籠りければ、敵かたきいささか悦びて、還つて河をも渡しぬべく見えたり。
熊野法師・小松法印は五十騎余りで戦っていましたが、三浦泰村やすむらに射散らされて引き退きました。坂東方も多くの者が討たれ疵を負って、足利(足利義氏よしうぢ)も駿河次郎(三浦泰村)も引き退いて、平等院(京都府宇治市にある寺)に籠もったので、敵は少しばかりよろこんで、今にも宇治川を渡る勢いでした。
(続く)
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