三月に川原寺にて初めて一切経を書かしめ給ひき。九年と申しし十一月に、妃の宮御病ひによりて、薬師寺を建てさせ給ひしなり。十三年と申ししに、御門例ならずおはしまして、東宮を初め奉りて、百官大安寺に詣でて、御門この寺にして法会を行はんと思す御願あるを、果たし遂げ給はずして止みなんとす。「たとひ定業なりとも、三年の御命を延べ奉り給へ。この大願を遂げさせ奉らん」と祈り申ししに、御門の御夢に御命延び給ふ由御覧ぜられて、御病ひ怠らせ給ひにしかば、三年の間、仏を顕し経を写して、本意の如く供養し奉り給ひき。十四年と申しし十月二十三日、天文のことごとくに乱れ、星の落つる事、雨の如く侍りき。十五年と申ししに、大和の国より朱き雉を奉れりき。さて朱鳥元年と年号を変へられにき。明くる年、大友皇子の御子、父ののたまはせ置きしによりて、三井寺をば造り給ひしなり。
三月に川原寺(現奈良県高市郡明日香村にある寺)で初めて一切経([大蔵経])を書かせました。天武天皇九年(680)と申す十一月に、妃の宮(鵜野讃良皇后。第四十一代持統天皇)の病いのために、薬師寺(現奈良県奈良市にある寺だが、元は奈良県橿原市に建てられたらしい)を建てられました。天武天皇十三年には、天武天皇が病いになられて、東宮(草壁皇子)を初め、百官が大安寺(現奈良県奈良市にある寺)に詣でて、天武天皇は大安寺で法会を行う願を立てられていましたが、果たし遂げぬままになっていました。「たとえ定業であろうとも、三年の命を延ばしてください。大願を遂げたいのです」と祈り申すと、天武天皇の夢に命を延ばすと見えて、病いは平癒しました、天武天皇は三年の間、仏を造り経を写して、本意通り供養されました。天武天皇十四年(685)の十月二十三日には、天文が乱れ、星が落ちて、雨のように降りました。天武天皇十五年(686)に、大和国より朱い雉が献上されました。そして朱鳥元年と年号を変えられました。明くる年、大友皇子の子(大友与多王)が、父の遺言により、三井寺(現滋賀県大津市にある寺)を造りました。
(続く)