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「水鏡」光仁天皇(その1)

次の御門、光仁くわうにん天皇てんわうまうしき。天智てんぢ天皇の御子に施基皇子しきのみこと申しし、第六子におはす。母は、贈太政だいじやう大臣紀諸人もろひとの娘、贈皇后橡姫とちひめなり。神護景雲じんごけいうん四年八月はちぐわつ四日、称徳しようとく天皇亡せさせおはしましにしかば、位を継ぎ給ふべき人もなくて、大臣以下各々この事を定め給ひしに、天武てんむ天皇の御子になが親王しんわうと申しし人の子に大納言文室ふんや浄三きよみと申す人を位に即け奉らんと申す人々もありき。また、白壁王しらかべのおほきみとてこの御門のおはしまししを即け奉るべしと申す人々もありしかども、なほ浄三をと申す人のみ強くてすでに即き給ふべきにてありしに、この浄三「我が身その器量に叶はず」とあながちに申し給ひしかば、その弟の宰相さいしやう大市おほちと申ししを、さらば即け申さんと申すに、大市請け引き給ひしかば、すでに宣命せんみやうを読むべきになりて、百川ももかは永手ながて良継よしつぐ、この人々、心を一つにて目をくはせて、密かに白壁王を太子と定め申す由の宣命を作りて、宣命使を語らひて、大市の宣命をば巻き隠してこの宣命を読むべき由を言ひしかば、宣命使庭に立ちて読むを聞くに、「事、俄かにあるによりて、諸臣たちはからく、白壁王は諸王の中に年長け給へり。また、先帝の功あるゆゑに太子と定め奉る」と云ふ由を読むを聞きて、この大市を立てんと言ひつる人々浅ましく思ひて、とかく云ふべき方もなくてありしほどに、百川やがて兵を催して白壁王を迎へ奉りて、御門と定め奉りてき。この御門の位に即き給ふ事は、ひとへに百川の計らひ給へりしなり。




次の帝は、光仁天皇(第四十九代天皇)と申されました。天智天皇(第三十八代天皇)の皇子で施基皇子と申して、第六皇子(第七皇子らしい)でした。母は、贈太政大臣紀諸人の娘、贈皇后橡姫(紀橡姫)でした。神護景雲四年(770)の八月四日に、称徳天皇(第四十八代天皇)がお隠れになられましたが、帝位を継ぐ人もなく、大臣以下各々次の帝を決めようとしました、天武天皇(第四十代天皇)の皇子で長親王と申す人の子に大納言文室浄三と申す人を帝位に即けるべきと申す人々もいました。また、白壁王と申してこの帝(光仁天皇)がおられたので即けるべきと申す人々もいましたが、それでも浄三をと申す人の意見が強くてすでに即かれるはずでしたが、浄三が「わたしには帝になる器量はありません」と強く辞退申したので、浄三の弟である宰相大市(文室大市)と申す者を、ならば帝位に即けようと申して、大市もこれを引き請けたので、すでに宣命を読むばかりとなりましたが、百川(藤原百川)・永手(藤原永手)・良継(藤原良継)、これらの人々が、心を一つにして目配せして、密かに白壁王を太子と定めるとの宣命を作り、宣命使に命じて、大市の宣命を巻き隠してこの宣命を読めと申したのでした、宣命使が庭に立って読み上げるのを聞くと、「事態は、急を要する、諸臣たちにはつらいことであろうが、白壁王は諸王の中で年長である。また、先帝(称徳天皇)に功があった故に太子と定める」と言うのを読むのを聞いて、大市を立てようと言っていた人々は残念に思い、何と申すべきもありませんでしたが、百川はすぐに兵を集めて白壁王を迎えて、帝に決めてしまいました。光仁天皇が帝位に即かれたのは、すべて百川が企てたことでした。


続く


by santalab | 2014-03-24 22:19 | 水鏡

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