次の御門、平城天皇と申しき。桓武天皇の第一の御子。御母、内大臣藤原良継の娘、皇后乙牟漏なり。延暦元年十一月二十五日に東宮に立ち給ふ。御年十二。早良親王の御代はりなり。同じき六年五月十八日に御元服ありき。大同元年五月二十八日に位に即き給ふ。御年三十二。世を知り給ふ事四年なり。御心敏く、御才賢くおはしましき。十一月に天台の受戒始まりき。今年、崇道天皇の御為に、山科に八嶋寺を建て給ひて、諸国の正税の上分を奉りて祈り鎮め奉り給ひき。
次の帝は、平城天皇(第五十一代天皇)と申されました。桓武天皇(第五十代天皇)の第一皇子でした。母は、内大臣藤原良継の娘、桓武天皇皇后乙牟漏(藤原乙牟漏)でした。延暦元年(782)の十一月二十五日に東宮に立たれました。十二歳でした。早良親王(第五十代桓武天皇の東宮)に代わってのことでした。同じ延暦六年(787)の五月十八日に元服されました。大同元年(806)の五月二十八日に帝位に即かれました。御年三十二でした。世を治められること四年でした。心賢く、知恵のある帝でした。十一月に天台宗の受戒([出家または在家の信者が、仏の定めたそれぞれの戒律を受けること])が始まりました。この年、崇道天皇(早良親王の追号)のために、山科に八嶋寺を建てられて、諸国の正税([律令制で、正倉に貯蔵された官稲])の上分([神仏に対する貢納物])をもって祈り鎮められました。
(続く)