さて、十三にてぞ、太政大殿には参り侍りし』など言ひて、世継『さても、うれしく対面したるかな。仏の御験なめり。年来、ここかしこの説経と罵れど、なにかはとて参らず侍り。賢く思ひ立ちて、参り侍りにけるが、うれしきこと』とて、世継『そこにおはするは、その折の女人にやみでますらむ』と言ふめれば、繁樹が答へ、『いで、さも侍らず。それは早や失せ侍りにしかば、これは、その後相添ひて侍る童なり。さて閣下はいかが』と言ふめれば、世継が答へ、『それは侍りし時のなり。今日もろともに参らむと出で立ち侍りつれど、わらはやみをして、当たり日に侍りつれば、口惜しくえ参り侍らずなりぬる』と、あはれに言ひ語らひて泣くめれど、涙落つとも見えず。
その後、十三で、太政大臣(藤原忠平)の許に参ったのでな』などと言いました、世継は『何にせよ、うれしくも対面したものよ。仏の霊験に違いなかろう。年来、ここかしこで説経があるときいておったんじゃが、何かと理由を付けては参らずにいたんじゃ。やっと思い立って、参ることにしたんじゃが、うれしいことがあるものじゃ』と申して、世継は『そこにおられるのは、お主の妻か』と言うと、繁樹が答えて、『いや、違うんじゃ。妻はすでに亡くなって、この女は、その後一緒に暮らしておる童じゃよ。さて閣下は妻はおるか』と言うと、世継が答えて、『ずっと連れ添っておるぞ。今日も一緒に参ろうと出で立ったんじゃが、わらわやみ([毎日または隔日に、時を定めて発熱する病気])で、熱が出てな、残念じゃが参ることができんじゃった』と、悲しそうに申して泣きましたが、涙が落ちているようには見えませんでした。
(続く)