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関左衛門入道・佐島の四郎・小野寺中務・若狭兵衛の入道、これもまたとも見えず。この中に佐島の四郎は馬も強し、死ぬまじかりけるを、帯刀たちはきの関入道、弓手ゆんでの袖に取り付くと見えしが、二人ながら見えず。
関左衛門入道・佐島四郎・小野寺中務・若狭兵衛入道、これらの者たちもまた見えなくなりました。この中で佐島四郎は馬も強く、死ぬような者ではありませんでしたが、帯刀の関入道が、弓手([左手])の袖に取り付いたと見えたとたん、二人とも見えなくなりました。
(続く)
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