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「宇津保物語」俊蔭(その7)

阿修羅あすら、大きに驚きて言はく、「なんじ、何によりてか、『阿修羅の万劫ばんごうの罪の半ば過ぐるまで、虎、狼、虫けらともいへども、人の近きをあたりに寄せず、山のほとににかかり来るけだものは、阿修羅の食とせよ』と当てれたり、いかに思ひてか、人の身を受けて、汝がここにたれる。すみやかに、その由を申せ」と、まなこを車の輪のごと見くるべかして、歯をつるぎの如く食ひ出だしていかる。俊蔭としかげ、涙を流して答ふ。あなかしこ、この山を尋ぬること、激しきいはほほむら出づるまで、獣の激しき中を分け出づる時は、焔は炎熱く、剣ははぎを貫き、悪を含める毒蛇に向かひて、もとの国よりこの国に至り、住みし林よりこの山を尋ね、父母が手を別れし日より、今日までのことを答ふ。阿修羅、「我ら、昔の犯しの深さによりて、悪しき身を受けたり。しかあれば、忍辱にんにくの心を思ふともがらにあらず。しかはあれども、『日本の国に、忍辱の父母あり』と申すによりて、四十人の子供のかなしく、千人の眷属くゑんぞくの愛しきによりて、汝が命を許し給ふ。汝、すみやかに罷り帰りて、阿修羅のために、大般若を書き、供養せよ。汝、日の本の父母に向かふべき便りを与へむ」と言ふ時に、俊蔭、伏し拝みて言はく、「日本より山を尋ぬる大いなる心ばへは、父母が愛子あいしとして、一生に一人子なり。親の顧みの厚く、慈悲の深かりしを捨てて、国王の仰せの賢かりしによりて渡れり。その父母、紅の涙を流してのたまはく、『汝、不孝の子ならば、親に長き嘆きあらせよ。孝の子ならば、浅き思ひにあひ,/rt>向かへ』とのたまひき。




阿修羅は、たいへん驚いて言うには、「お前は、どうしてここにおるんじゃ、『阿修羅の万劫(仏教用語で永劫の意味ですが、ヒンドゥー教では劫=43億2000万年ということなので、万劫=43兆2000億年ですか、理解不能です)の罪の半分を過ぎるまで、虎、狼、たとえ虫けらといえども、人に近いものをまわりに寄せず、山の近くまで襲ってくる獣は、阿修羅の食物とせよ』と決められたのに、どう思ったのかは知らないが、人の身をもらいながら、お前はここにやって来た。さっさと、その理由を話せ」と、眼を車輪のようにぐるぐる回しながら、歯を剣のようにむき出して怒りました。俊蔭は、涙を流しながら答えました。恐れ多いことですが申し上げます、この山を訪ねるために、多くの岩山を登ってきましたが、山は火を噴いておりました、獣がたくさんいる中から這い出ようとすると、焔は炎となって襲ってくるので熱く、獣の剣のような牙はすねを突き刺して、危険な毒蛇と立ち向かいながらここまでやって来ました、日本よりこの国にたどり着き、暮らしていた林からこの山を訪ねたこと、父母と手を取り合って別れた日から、今日までのことを答えました。阿修羅は、「我らは、昔犯した罪を深さゆえに、みにくい身を与えられたのだ。だから、忍辱(仏教用語で侮辱や苦しみに耐え忍ぶこと)の心など持ち合わせてはおらぬ。そうはいっても、『日本の国に、忍辱の父母がいる』そうじゃな、我らとて四十人の子どもがかわいく、千人の身内をかわいく思うのだから、お前の命だけは許してやろう。お前は、すぐにここから立ち去って、阿修羅のために、大般若経(大乗経典のことで600巻余からなる。西遊記で有名な三蔵法師、玄奘三蔵が訳したらしい)を書いて、我々を供養せよ。お前に、日本の父母の許へ帰るきっかけを与えよう」と言ったので、俊蔭は、阿修羅を伏し拝みながら言うには、「はるばる日本からやって来てこの山を訪ねようと大望を抱いたのは、父母が愛した、一生に一人の子だからです。親の情け厚く、慈悲(いつくしみ、あわれむ気持ち)の深い両親を捨てて、国王の命令をありがたく承って海を渡ったのです。その父母が、別れの際に血の涙を流してこう言ったのです、『お前が孝行者でなければ、親がずっと嘆こうが放っておきなさい。もし孝行者ならば、親の心配などしないでもっと大きな夢に向かいなさい』と。


続く


by santalab | 2014-04-06 08:13 | 宇津保物語

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