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さるほどに駿河の次郎泰村やすむらこれを見て、「今まで下がりけるこそ口惜しけれ」とて、小川の右衛門取り付きて示しけれども渡しけるを、泰時やすとき使者を立てて、「これにこそ候へ。これへ渡り候へ」とのたまへば、泰村も一所に控へけり。
やがて駿河次郎泰村(三浦泰村)はこれを見て、「これほどまで遅れるとは残念なことだ」と言いながら、小川右衛門に続いて川を渡りました、泰時(北条泰時)が使者を立てて、「わたしはここだ。ここに集まれ」と申したので、泰村(三浦泰村)も同じ所に向かいました。
(続く)
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