かくて、あはれに、いみじく心細げなる気色を見給ひしより、思ひ付きにしを、まして、近く見ては、今千重増さりて、あはれに愛しく思ほえて、親の御許に帰らざらむも何とも思え給はねど、父母の思ひ子にて、片時も見え給はねば、思し騒ぎ給ふ子なり。かくて近く見馴るるままに、片時立ち去るべくもあらず、見捨てて行かむもあはれに後ろめたく、思ゆることの二つなければ、女に、「今は、な思ひ隔てそ。さるべきにてこそ、かく見奉り初めぬらめ。見奉らでは、えあるまじう思ゆれど、見給ひしやうに、親なむおはする。片時御前も放ち給はず、内裏に参るほどだに後ろめたきものに思したれば、昨夜より、かくて侍るを、いかに思し騒ぐらむ。まだ、かかる罷り歩きなどもわざとして、人に見えねば、えしも思ふままには詣で来じを、『さるべからむ折に、夜中、暁にも参り来む』と思ふを、ここに、まことに、やがておはする人か。親やおはする。また、通ひ給ふ所やある。あらむままにのたまへ」とのたまへば、女、いとどいみじき物思ひさへ増さる心地して、恥づかしくいみじけれど、せめてのたまへば、「親もあり、知るべき人もある身ならば、かかる所に、仮りにても、一人はありや。やがてこの住みかに朽ちぬべきよりほかの行く方もなくなむ」と言へば、「さはれ、誰と聞こえし人の子ぞ。もし、心ならで参り来ずとも、つと思ひ取りてなむあるべき」とのたまへば、「誰とも知られざりし人なれば、聞こゆとも、誰とは知り給はむや」とて、傍らなる琴を掻き鳴らして、うち泣きたる気配も、いみじうあはれなり。
そして、若小君は最初こそ女をかわいそうに思いましたが、とても心細そうな表情をしている女を見ているうちに、好きになってしまいました、まして、近くで見ると、愛する気持ちがよりいっそう高まって、女がどうしようもなくかわいく思えるのでした、一方で親許に帰らなくてはと思いました、若小君は父母がとても大事にしている子でしたので、片時も姿が見えなければ、どうしたと心配するほどでした。こうして女を近くでずっと見ていると、ほんの少しの間も女の許を離れることはできず、まして女を残して帰るのはかわいそうだと気がとがめましたが、二つを同時に選ぶこともできなければ、女に、「もう、帰る。その時が来れば、改めてまたこうしてここにやって来ることにしよう。お前の親に挨拶をしないままここ去るのは、よくない、会っておきたいと思うが、親はどうしている。親というものはたとえ少しの間でも子を自由にさせず、内裏に参るのでさえ不安に思うものだが、昨夜からここに居てから、気になっていたのだ。昨夜のようにここを訪ねたところで、親に会えば、思うままにここに来ることはできまいが、そうでなければ『ちょうどよい折に、たとえ、夜中、明け方であっても訪ねたい』と思っている、この住まいに、本当に、ずっと住んでいる人なのか。親はどうしている。親しい間柄の人はいるのか。正直に話してみよ」と言ったので、女は、「親が存命で、知り合いの方でもある身ならば、こんな所に、たとえ仮りの住まいであろうと、一人で住んでいるでしょうか。やがてここでむなしく人生を終えるほかなく他の所へ行くこともできません」と答えたので、若小君は言葉につまって、「で、お前は誰の子なのだ。もし、思いかなわずここに来ることができなくとも、すぐに朝廷に仕えられるように取り立ててやろう」と言えば、「誰と知られた人ではないので、名前を聞いたところで、きっと知らないと思います」と言って、そばに置いた琴を掻き鳴らして、泣いているような様子は、たいそう憐れでした。
(続く)