勢多・宇治・水尾が崎落ちぬと聞こえしかば、一人も軍する者なく、皆落ち失せにける。南都北嶺の大衆も落ち行きけり。当日の大衆、高声に念仏申して、「哀れなりける王法かな」と、高らかに口ずさび、泣く泣く本山本山に帰りけり。
瀬田(現滋賀県大津市)・宇治(現京都府宇治市)・水尾崎(三尾の崎。現滋賀県高島市)が落ちたと聞こえると、一人も軍をする者はなく、皆落ち失せました。南都(奈良)北嶺(比叡山)の大衆([僧])も落ちて行きました。当日の大衆は、大声で念仏を唱えて、「悲しむべき王法([政治])かな」と、高らかに口ずさみながら、泣く泣く本山本山に帰って行きました。
(続く)