十五日巳の刻、泰時雲霞の如くの勢にて、上河原より打ち立ち、四辻殿の院の御所へ寄すと聞えけり。一院、東西を失はせ給ふ。月卿・雲客前後を忘れてあわて騒ぐ、責めての御事に院宣を泰時に遣はされけり。その状にいはく、
秀康朝臣・胤義以下徒党、追討令むべし之由、宣下既に畢はんぬ。また先の宣旨を停止、解却の輩、還任令むべし之由、同じく宣下せ被れ訖る。およそ天下の事、今に於かん者、御口入り及ばざるといへどども、御存知の趣き、いかかでか仰せ知らざるや。凶徒の浮言に就きて、既にこの沙汰に及び、後悔左右に能はず。ただし天災之時至るか。もつともまた悪魔の結構か。誠に勿論之次第なり。自今以後に於いては、武勇に携はる輩は、召し使ふべからず。また家を稟さず武芸を好む者、永く停止被るべきなり。この如き故に自然御大事に及ぶ由、御覚知ある者なり。前非を悔ひて仰せ被るなり。御気色この如し。よつて執達件の如し。
六月十五日 権中納言定高
武蔵の守殿
六月十五日の巳の刻([午前十時頃])、泰時(北条泰時)は雲霞の如く大勢で、上河原を出発し、四辻殿(一条万里小路にあった御所)の後鳥羽院御所へ寄せると聞こえました。一院(後鳥羽院)は、東西も不覚となりました。月卿([公卿])・雲客([殿上人])は前後も忘れてあわて騒ぎ、何とか事を収めようと院宣を泰時に遣わしました。その状には、
秀康朝臣(藤原秀康)・胤義(三浦胤義)以下の徒党([一味])を、追討すべきと、宣下が下りました。また先の宣旨は取消し、解却([官位を免ずること])の者たちを、還任([一度解任された人が、再びもとの官職に任ぜられること])することを、同じく宣下がありました。天下の事柄について、今後、口入れ([干渉])することはありませんが、存知([覚悟])の意趣を、知っていただくことにします。凶徒の浮言([根も葉もない噂])を耳にして、この沙汰に及び、後悔のしようもありません。ただ天災のようなもの。または悪魔の結構([計画])だったのか。まことに非は当方にあります。以後、武勇の者を、召し使うことはありません。また武家でない者であっても武芸を好む者については、永久にこれを禁止させましょう。武芸によって自ずと大事に至ることを、悟り知ったからです。前非を後悔してこう仰せがありました。後鳥羽院の御意向は以上の通りです。以上執達([通達])します。
六月十五日 権中納言定高(二条定高)
武蔵守(北条泰時)殿
(続く)