さてまたいつと夕つ方、五月始めの事なるに、南面の御簾近く立ち出でて、来し方行く末の事ども、つくづく思ひ連ぬるに、まことに男の心ほど、頼み少なきものはなし、げに浅からず契りしも、空しかりける妹背の仲、頼みし末もいつしかに、変はり果てぬる言の葉かな。さてまた、いつの同じ世に、逢ひて恨みを語るべき。げにや、昔を思ふに、「物は遠きを珍しと、しは稀なるを貴しとす」といへども、何とてさのみ疎きやらんと、涙に咽ぶ夕暮れに、五月雨の風より晴るる雲の絶え間、それとしもなき時鳥、ただ一声に聞き絶えぬ、憂き身の上もかくやらんと、古歌を思ひ出でて、
夏山に 鳴く時鳥 心あらば もの思ふ身に 声な聞かせそ
と打ちながめて、立ちたるところに、
十郎、三浦より
帰りけるが、たたずみたる縁の
際に、駒打ち寄せ、広縁に下り立ち、「如何にや、程遙かに、
見参に入らざる、心許なきよ」とて、鞭にて
簾打ち上げ、立ち入りければ、虎は返事もせずして、内に入りぬ。
さてまたいつの夕べでしたか、五月の始めのことでしたが、虎御前(大磯の遊女。祐成の妾)は南面の御簾近くに出て、これまでのこと将来のことを、つくづく思い続けていました、まことに男の心ほど、頼りにならないものはありませんでした、浅からぬ契りでさえ、むなしい妹背([夫婦])の仲、頼りにしたところでいつしか、変わってしまうのが言葉。さてまた、いつの同じ世に、逢って恨みを申せばよいのでしょう。確かに、昔を思い出しても、「物は遠くにあるものを珍しいと言い、しは(貴は?。梅に四貴ありと言う中国の言い伝えらしい。四貴とは、老いたる・痩せたる・含みたる・稀なる)稀なものを言う」といえども、どうしてそれほど疎遠にするのかと、涙に咽ぶ夕暮れに、五月雨の風より晴れる雲の絶え間に、知ってか知らずか時鳥が、ただ一声鳴きました、憂き身の上も同じようなものだと、古歌を思い出して、
夏山に鳴くほととぎすよ、もしわたしの心が分かるなら、物思いに沈むわたしに声を聞かせないでほしい。またしまで悲しくなってしまうから。(『古今和歌集』。詠み人知らず)
と口ずさみながら、立っているところに、十郎(曽我
祐成)が、三浦(現神奈川県三浦市)より帰って来ましたが、虎御前がたたずんでいる縁の際に、馬を打ち寄せ、広縁([
広庇]=[寝殿造りで、庇の外側に一段低く設けた板張りの吹き放し部分])に下り立ち、「どうしておった、ずいぶん、会っていなかったので、心配していたぞ」と申して、鞭で簾を上げて、部屋に入ると、虎御前は返事もせずに、几帳の内に入ってしまいました。
(続く)