されば、修練の精尽きずして、大磯の長者の娘虎と言ひて十七歳になりける傾城を、祐成の、年来思ひ染めて、秘かに三年ぞ通ひける。これや、古き言葉に、「移し得たりや楊妃らうのえくぼを、成し顕せりにんみんあをきたる唇を」なんど思ひ出だして、折々情けを残しける。五朗も、影の如く、寸も離れずして、もろともに通りけり。これもただ、仇の便宜を狙はん為とぞ見えし。哀れなる有様、心ざしのほど、無慙と言ふも余りあり。
こうして、修練([人格・学問・技芸などが向上する ように、心身を厳しく鍛えること])の気持ちは衰えることなく、大磯宿(現神奈川県中郡大磯町。東海道五十三次の八番目の宿場)の長者([宿場の遊女屋の主人])の娘虎御前と言う十七歳になる傾城([美人])を、祐成(曽我祐成)は、数年思い染めて、秘かに三年間通っていました。これこそ、古い言葉に、「移し得たりや楊妃らうのえくぼを、成し現せりにんみんあをきたる唇を」(「移し得たりや楊妃の桃のえくぼを、顕せるは実桜開きたる唇を」か?写したような楊貴妃の春桃のようなえくぼ、顕せるは唐実桜=サクランボ。のように綻んだ唇)」などと思い出して、折々情けを掛けていました。五朗(曽我時致。祐成の弟)も、影のように、祐成からわずかも離れず、連れ立って行動しました。これもただ、仇(工藤祐経)を討つ機会を窺うためでした。あわれな姿ではありましたが、虎御前への心ざしは、いたましいと言うにあまりあるものでした。
(続く)