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「太平記」光厳院殿重祚の御事

建武けんむ三年六月十日、光厳院くわうごんゐん太上天皇だじやうてんわう重祚ちようその御くらゐに即けまゐらせたりしが、三年の内に天下てんが反覆はんぶくして宋鑑そうかん滅び果てしかば、その例いかがあるべからんと、諸人異議多かりけれども、この将軍しやうぐん尊氏たかうぢきやうの筑紫より攻め上りし時、院宣ゐんぜんをなされしもこの君なり。今また東寺へ潜幸せんかうなりて、武家にくはへられしもこの御事おことなれば、いかでかその天恩を報じ申さではあるべきとて、尊氏の卿ひらに計らひ申されける上は、末座の異見再往の沙汰に及ばず。その頃物にも思へぬ田舎ゐなかの者ども、茶の会酒宴のみぎりにて、そぞろなる物語しけるにも、「あはれこの持明院このぢみやうゐん殿ほど、大果報だいくわはうの人はをはせざりけり。いくさの一度をもし給はずして、将軍より王位を給はらせ給ひたり」と、まうし沙汰しけるこそをかしけれ。




建武三年(1336)六月十日に、光厳院(北朝初代天皇)が太上天皇として重祚([一度退位した君主が再び即位すること])し上皇の位に即かれましたが、三年の内に天下は逆転し宋鑑滅び果てた(北宋が滅び南宋として再興したが、結局宋は滅びた)、その例を引くにどうなることだろうかと、諸人に異議は多くありましたが、将軍尊氏卿(足利尊氏)が筑紫から攻め上る時、院宣を下されたのもこの君(光厳院)でした。今また東寺へ潜幸なされて、武家に王威を加えらたのも光厳院でしたので、どうしてその天恩を報わずということがありましょうと、尊氏卿が平伏して申し上げられた上は、末座の異見が再考されることはありませんでした。その頃数にも入らぬ田舎者たちが、茶会酒宴を開いて、世間話をしていましたが、「ああ持明院殿(光厳院)ほど、大果報のお人はおられぬであろうの。戦を一度もせずに、将軍(尊氏)より王位をもらったようなものよ」と、言い合うのは滑稽でした。


続く
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by santalab | 2014-05-19 17:49 | 太平記 | Comments(0)

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