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「太平記」相摸次郎時行勅免の事(その1)

先亡せんばう相摸入道にふだう宗鑒そうかんが次男相摸次郎時行ときゆきは、一家いつけたちまちに亡びし後は、天にせぐくまり地にぬきあしして、一身を置くに安き所なかりしかば、ここの禅院ぜんゐん、かしこの律院りつゐんに、一夜二夜を明かして隠れありきけるが、ひそかに使者を吉野殿へまゐらせてまうし入れけるは、「亡親ばうしん高時たかとき法師、臣たる道をわきまへずして、遂に滅亡を勅勘ちよくかんの下に得たりき。しかりといへども、天誅てんちうに当たる故を存ずるに依つて、時行一塵いちぢんも君を恨み申すところを存じ候はず。元弘げんこう義貞よしさだ関東くわんとうを滅ぼし、尊氏たかうぢは六波羅を攻め落とす。かの両人いづれも勅命に依つて、征罰を事としさふらひし間、いきどほりを公儀に忘れ候ひしところに、尊氏たちまちに朝敵てうてきとなりしかば、威を綸命りんめいの下に仮つて、世を反逆ほんぎやくうちに奪はんとくはたてける心中、事すでに露顕し候ふか。




先亡の相摸入道宗鑒(北条高時たかとき。鎌倉幕府第十四代執権)の次男相摸次郎時行(北条時行)は、一家たちまちに亡びた後は、天に跼り地に蹐し([天に跼り地に蹐す]=[天は高いのに背を かがめて歩き、地は堅いのに抜き足で歩くこと])して、一身を置くに心休まる所もなく、ここの禅院、あちらの律院で、一夜二夜を明かして隠れていましたが、密かに使者を吉野殿(南朝)へ参らせて申し入れるには、「亡親高時法師(北条高時)は、臣としての道を弁えずして、遂に(鎌倉幕府の)滅亡を勅勘の下に得ることとなりました。とはいえども、天誅をこの故に被ることを、この時行わずかも君(南朝初代後醍醐天皇)に恨み申すものではございません。元弘(三年(1333))に義貞(新田義貞)は関東(鎌倉)を滅ぼし、尊氏(足利尊氏)は六波羅を攻め落としました。この両人はいずれも勅命による、征罰でありますれば、憤りを公儀(鎌倉幕府)の滅亡とともに忘れるべきにもかかわらず、尊氏たちまちに朝敵となって、威を綸命([天子や天皇の命令])に拠りながらも、世の反逆者となって奪おうとしておることは、すでに明らかに思えまする。


続く
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by santalab | 2014-05-21 19:38 | 太平記 | Comments(0)

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