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「太平記」資朝俊基関東下向の事付御告文の事(その1)

土岐とき多治見たぢみ討たれて後、君の御謀反次第に隠れなかりければ、東使とうし長崎四郎左衛門泰光やすみつ南条なんでうの次郎左衛門宗直むねなほ二人ににん上洛しやうらくして、五月十日資朝すけとも俊基としもと両人りやうにんを召し捕り奉る。土岐が討たれし時、生け捕りの者一人もなかりしかば、白状はくじやうはよもあらじ、さりとも我らが事はあらはれじと、無墓頼みに油断して、かつてその用意もなかりければ、妻子東西に逃げ迷ひて、身を隠さんとするに所なく、財宝は大路おほちに引き散らされて、馬蹄ばていの塵と成りにけり。




土岐(土岐頼員よりかず)・多治見(多治見国長くになが)が討たれて後、君(第九十六代後醍醐天皇)の謀反は次第に明らかとなって、東使([鎌倉幕府から京都にある朝廷や六波羅探題、関東申次などに派遣された使者])の長崎四郎左衛門泰光(長崎泰光)、南条次郎左衛門宗直(南条宗直)の二人が上洛して、五月十日に資朝(日野資朝)・俊基(日野資朝)両人を捕えました。土岐(頼員)が討たれた時、生け捕りの者は一人もいなかったので、白状([隠していた事実や自分の犯した罪を申し述べること])は決してあるまい、まさか我らの企みが露見することはないと、愚かな頼みに油断して、用意もしていなかったので、妻子は東西に逃げ惑い、身を隠そうにも所なく、財宝を大路に巻き散らしたので、馬蹄の塵となってしまいました。


続く
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by santalab | 2014-05-22 08:19 | 太平記 | Comments(0)

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