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「太平記」後醍醐天皇御治世の事付武家繁昌の事(その3)

その後頼朝卿のしうと遠江とほたふみかみたひら時政ときまさの子息、さきの陸奥の守義時よしとき、自然に執天下権柄勢やうやく欲覆四海。この時の太政天皇だじやうてんわうは、後鳥羽のゐんなり。武威振下、朝憲てうけん廃上事歎き思し召して、義時を亡ぼさんとし給ひしに、承久じようきうの乱出で来たつて、天下しばらくもしづかならず。遂に旌旗せいき日にかすめて、宇治・勢多にして相戦ふ。その戦ひ未終一日、官軍たちまちに敗北せしかば、後鳥羽の院は隠岐の国へ遷されさせ給ひて、義時いよいよ八荒はつくわうたなごころに握る。




その後頼朝卿の舅であった、遠江守平時政(北条時政。北条政子の父で鎌倉幕府初代執権)の子息、前陸奥守義時(北条義時。鎌倉幕府第二代執権)が、おのずと天下の実権を握り四海([国内])を転覆させようとするようになりました。この時の太政天皇は、後鳥羽院(第八十二代天皇)でした。武威を振るい、朝憲をないがしろにすることを嘆かれて、義時を亡ぼさんとして、承久の乱(1221)が起こり、天下はわずかの間も鎮まることはありませんでした。ついに旌旗([旗])を天にさし上げて、宇治(現京都府宇治市)・勢多(現滋賀県大津市)で戦いが起こりました。戦いは一日を経ずして、官軍がたちまちに敗北して、後鳥羽院は隠岐国へ移されて、義時はますます八荒([国の八方の果て])までも掌中に収めました。


続く
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by santalab | 2014-05-22 21:56 | 太平記 | Comments(0)

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