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「太平記」後醍醐天皇御治世の事付武家繁昌の事(その4)

それより後武蔵のかみ泰時やすとき修理しゆりすけ時氏ときうぢ・武蔵の守経時つねとき・相摸の守時頼ときより・左馬ごんかみ時宗ときむね・相摸の守貞時さだとき、相次いで七代、まつりごと武家より出で、徳窮民をするに足れり、威万人まんにんの上にかうむるといへども、くらゐ四品しほんあひだを越へず、けんに居て仁恩じんおんを施し、己を責めて礼義を正す。ここを以つて高しと言へどもあやふからず、満てりと言へども溢れず。承久じようきうよりこの方、儲王摂家ちよわうせつけの間あひだに、理世安民りせいあんみんに相当たり給へる貴族を一人、鎌倉へ申し下し奉つて、征夷将軍とあふいで、武臣皆拝趨はいすうの礼を事とす。同じき三年に、始めて洛中に両人の一族を据ゑて、両六波羅と号して、西国さいこくの沙汰を執り行はせ、京都の警衛に備へらる。




その後は武蔵守泰時(北条泰時。鎌倉幕府第三代執権)・修理亮時氏(北条時氏。泰時の長男)・武蔵守経時(北条経時。時氏の長男。鎌倉幕府第四代執権)・相摸守時頼(北条時頼。時氏の次男。鎌倉幕府第五代執権)・左馬権頭時宗(北条時宗。時頼の子。鎌倉幕府第八代執権。ちなみに第六代執権は北条長時ながとき、第七代は義時の五男北条政村まさむら)・相摸守貞時(北条貞時。時宗の嫡男。鎌倉幕府第九代執権)、相ついで七代、政治を行う者が武家から出て、その徳は窮民をあわれみ、威は万人に及ぶといえども、位は四品を越えず、謙虚にして仁恩を施し、己に厳しくして礼義を正しました。これをもって武士の身分は高いといえども危ういほどでなく、満ちるといえども溢れることはありませんでした。承久以降、儲王摂家([世継ぎとなるべき親王と摂関家])から、理世安民(世を治め民を安める)の器を持つ貴族を一人、鎌倉へ申し下して、征夷将軍と仰いで、武臣は皆拝趨([参上])して礼をなしました。同じ承久三年(1221)に、始めて洛中に両人(北条泰時・北条時房ときふさ)の一族を据えて、両六波羅(南北六波羅探題)と呼んで、西国の沙汰を執り行わせ、京都の警衛をするようになりました。


続く
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by santalab | 2014-05-22 22:12 | 太平記 | Comments(0)

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