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「太平記」持明院本院潜幸東寺事(その2)

さるほどに敵すでに京中きやうぢゆうに入り乱れぬと見て、兵火四方しはうに盛んなり。全職たけもとこれを見て、「さのみはいつまでか、暗然あんぜんとして可待申なれば、供奉ぐぶの人々に急ぎ山門へなし参らすべし」と申し置きて、新院しんゐん・法皇・春宮とうぐうばかりを先づ東坂本へぞ御幸なし参らせける。本院ほんゐんは全職が立ち帰る事もやあらんずらんと恐しく思し召されければ、日野の中納言資名すけな殿上人てんじやうびとには三条さんでう中将ちゆうじやう実継さねつぐばかりを供奉人として、急ぎ東寺へぞなしたりける。将軍なのめならず悦んで、東寺の本堂を皇居くわうきよと定めらる。久我こがの内大臣を始めとして、落ち留まり給へる卿相雲客けいしやううんかく参られしかば、すなはち皇統くわうとうを立てらる。これぞ早や尊氏の運を開かるべきずゐなりける。




やがて敵はすでに京中に入り乱れたと思えて、兵火が四方に激しく上がりました。全職(太田全職)はこれを見て、「こうしていつまでも、本院(第九十五代天皇花園院)の回復を待ってもおられなくなりました、お供の人たちを急ぎ山門(比叡山)にお連れしなくてはなりません」と申し置いて、新院(北朝初代天皇光厳くわうごん院)・法皇(第九十三代天皇後伏見院。この時すでに崩御)・春宮(豊仁ゆたひと親王。後の北朝第二代光明くわうみやう天皇)ばかりをまず東坂本(現滋賀県大津市)にお連れしました。本院(花園院)は全職が戻ってくるかもしれないと恐しく思われて、日野中納言資名(日野資名)、殿上人には三条中将実継(三条実継)ばかりを供奉人として、急ぎ東寺(現京都市南区にある教王護国寺)へ向かわれました。将軍(足利尊氏)はとてもよろこんで、東寺の本堂を皇居に定めました。久我内大臣(久我長通ながみち)を始めとして、落ち留まった卿相雲客([公卿と殿上人])が参ったので、すぐに皇統を立てられました(北朝第二代光明くわうみやう天皇を立てたのは、北朝初代天皇光厳院。比叡山に逃げたのは後醍醐院なので辻褄が合わない)。早くも尊氏の運を開く瑞兆となりました。


続く


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by santalab | 2014-05-23 19:33 | 太平記 | Comments(0)

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