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「太平記」正成首送故郷事(その2)

今年十一歳になりける帯刀たてはき、父が首の生きたりし時にも似ぬ有様、母が歎きの詮方もなげなる様を見て、流るる涙を袖に押さへて持仏堂ぢぶつだうの方へ行きけるを、母怪しく思ひてすなはち妻戸の方より行きて見れば、父が兵庫へ向かふ時形見に留めし菊水の刀を、右の手に抜き持ちて、袴の腰を押し下げて、自害をせんとぞし居たりける。母急ぎ走り寄つて、正行まさつら小腕こがひなに取り付いて、涙を流してまうしけるは、「『栴檀せんだんは双葉よりかうばし』といへり。なんぢをさなくとも父が子ならば、これほどのことわりに迷ふべしや。小心こごころにもよくよく事のやうを思ふてみよかし。故判官はうぐわんが兵庫へ向かひし時、汝を桜井の宿より返し留めし事は、まつたく跡をとぶらはれん為にあらず、腹を切れとて残し置きしにもあらず。我たとひ運命尽きて戦場に命を失ふとも、君いづくにも御座ありとうけたまはらば、死に残りたらん一族若党わかたうどもをも扶持ふちし置き、今一度いくさを起こし、御敵を亡ぼして、君を御代にも立てまゐらせよと言ひ置きしところなり。その遺言ゆゐごんつぶさに聞きて、我にも語りし者が、いつのほどに忘れけるぞや。かくては父が名を失ひ果て、君の御用に合ひ参らせん事あるべしとも思えず」と泣く泣く諌め留めて、抜きたる刀を奪ひ取れば、正行腹を不切得、礼盤らいばんの上より泣き倒れ、母と共にぞ歎きける。




今年十一歳になった帯刀(楠木正行まさつら。正成の嫡男)は、父(正成)の首の生きていた時とすっかり変わった様、母の嘆きのどうしようもならない姿を見て、流れる涙を袖で抑えて持仏堂([持仏や先祖の位牌を安置しておく堂])の方へ行くのを、母は怪しく思ってすぐに妻戸([殿舎の四隅に設けた両開きの板扉])の方から持仏堂に行ってみれば、父(正成)が兵庫へ向かう時形見として残した菊水([菊水刃]=[刀剣の刃文の一種])の刀を、右手に抜いて持ち、袴の腰の部分を押し下げて、自害しようとしていました。母は急ぎ走り寄り、正行の小腕([腕の、ひじより先の部分])に取り付いて、涙を流して申すには、「『栴檀は双葉より香ばし』([大成する人は幼少のときから優れているというたとえ])といいます。お前は幼くとも父(正成)の子ならば、これほどの理([条理])に血迷ってはなりません。小心によくよく父の言い残した事を思い出してみなさい。故判官(正成)が兵庫へ向かう時、お前を桜井宿(現大阪府三島郡島本町桜井)より返したのは、父亡き跡を弔わせるためではありません、腹を切れと申し残したのでもありませんよ。たとえ自身の運命尽きて戦場で命を失うとも、君(第九十六代後醍醐天皇)がどちらにでもおられると聞いたなら、死に残った一族若党(侍)たちを向かわせ、もう一度戦を起こし、敵を亡ぼして、君(後醍醐天皇)を帝位に立てよと言い残したのです。その遺言を詳しく聞いて、わたしにも話したお前が、いつの間に忘れてしまったのですか。そんなことでは父は名を失って、君の御用に役立つとは思えません」と泣く泣く自害を思いとどまらせて、抜いた刀を奪い取ると、正行は腹を切ることも叶わず、礼盤([本尊の前で導師が礼拝し誦経するための高座])の上から泣きくずれて、母とともに嘆き悲しみました。


続く
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by santalab | 2014-05-24 08:56 | 太平記 | Comments(0)

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