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「太平記」新田義貞落越前府城事(その9)

合戦の相図あひづありと思へて、所々の宮方鯖江さばえの宿へ馳せ集まる由聞こへければ、「いまだ川端に控へたる御方討たすな」とて、尾張をはりかみ高経たかつね・同じき伊予の守三千余騎を卒して、国分寺の北へ打ち出でらる。両陣相去あひさる事十余町じふよちやう、中に一つの川を隔てつ。この川さしもの大河にてはなけれども、時節をりふし雪消ゆきげに水増して、みなぎる浪岸を浸しければ、かたみに浅瀬を窺ひ見て、いづくをか渡さましと、しばらく猶予いうよしけるところに、船田長門の守が若党わかたうかつら新左衛門しんざゑもんと云ふ者、川端に打ち寄せて、「この川は水だに増さればにはかに出で来て、案内知らぬ人は、いつも誤りする川にて候ふぞ。いでその瀬踏み仕らん」と云ふままに、白蘆毛しらあしげなる馬に、樫鳥威かしどりをどしの鎧着て、三尺六寸の貝鎬 かひしのぎの太刀を抜き、兜の真つかうに指しかざし、たぎりて落つる瀬枕に、ただ一騎馬を打ち入れて、白浪を立ててぞ泳がせける。




合戦の相図(合図)があったと思って、所々の宮方(南朝方)が鯖江宿(現福井県鯖江市)へ馳せ集まっていると聞こえたので、「いまだ川端に控ている味方を討たすな」と、尾張守高経(斯波しば高経。北朝方)・同じく伊予守(斯波家兼いへかね。高経の弟)は三千余騎を引き連れて、国分寺(現福井県越前市京町)の北へ打ち出でました。両陣を隔てて十町余り(約1km)、中に一つの川(日野川)を隔てていました。この川はさほどの大河ではありませんでしたが、ちょうど雪解け水で水増して、みなぎる波岸を浸して、互いに浅瀬を窺って、どこを渡ろうかと、しばらく思案しているところに、船田長門守(船田善昌よしまさ)の若党([若い侍])で葛新左衛門という者が、川端に打ち寄せて、「この川は水が増されば州がにわかに出来て、よく知らぬ人は、いつも間違いする川でございます。わたしが瀬踏みいたしましょう」と言って、白蘆毛の馬に、樫鳥威([樫鳥=カケス。の羽のような模様で、黒・白・藍などの 組糸を使い石畳状に威したもの])の鎧を着て、三尺六寸の貝鎬([刀剣のしのぎ=刃と峰との間に刀身を貫いて走る稜線。が角立たないで、普通よりは少し丸みのあるもの])の太刀を抜き、兜の真つ向に指しかざし、たぎり落ちる瀬枕に、ただ一騎馬を打ち入れて、白浪を立てて泳がせました。


続く
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by santalab | 2014-05-26 08:22 | 太平記 | Comments(0)

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