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「太平記」金崎東宮並将軍宮御隠の事(その1)

新田義貞よしさだ義助よしすけ杣山そまやまより打ち出でて、尾張をはりかみ・伊予の守府中を落ち、その外所々の城落とされぬと聞こへければ、尊氏たかうぢきやう直義ただよし朝臣おほきに怒つて、「この事はひとへに春宮の彼らを御助けあらん為に、金崎かねがさきにてこれらは腹を切りたりとのたまひしを、まことと心得て、杣山へ遅く討手を差し下しつるによつてなり。この宮これほど当家を失はんと思し召しけるを知らで、もしただ置き奉らば、いかさま不思議の御くはたてもありぬと思ゆれば、ひそかに鴆毒ちんどくまゐらせて失ひ奉れ」と、粟飯原あひはら下総しもふさの守氏光うぢみつにぞ下知げぢせられける。春宮は、連枝れんしの御兄弟きやうだい将軍しやうぐんの宮とて、直義朝臣先年鎌倉へまうし下し参らせたりし先帝第七の宮と、一所に押し籠められて御座ありける所へ、氏光薬を一包ひとつつみ持ちて参り、「いつとなく加様かやうに打ち籠もつて御座候へば、御病気なんどのきざす御事もや候はんずらんとて、三条さんでう殿より調進てうしんせられて候ふ、毎朝一七日ひとなぬか聞こし召し候へ」とて、御前おんまへにぞ差し置きける。




新田義貞・義助(脇屋義助。新田義貞の弟)は杣山(現福井県南条郡南越前町にある山)より打ち出て、尾張守(斯波しば高経たかつね)・伊予守(斯波家兼いへかね。高経の弟)が越前国府中を落ち、そのほか所々の城を落としたときこえたので、尊氏卿(足利尊氏)・直義朝臣(足利直義。尊氏の弟)はたいそう怒って、「このことはひとえに春宮(恒良つねよし親王。南朝初代後醍醐天皇の皇子)を助けられるために、金崎(現福井県敦賀市にあった金ヶ崎城)でこれらは腹を切ったと申されたことを、本当だと思って、杣山へ討手を差し下すのが遅れたからぞ。この宮がこれほどまでに当家を亡ぼしたいと思っておられるのを知らずに、置いたままでは、必ずや不思議の企てもあると思えば、密かに鴆毒([ちんと呼ばれる空想上の鳥の羽の毒])を参らせて失うのがよろしいでしょう」と、粟飯原下総守氏光(粟飯原氏光)に命じました。春宮(恒良親王)は、連枝([貴人の兄弟])の兄弟である将軍の宮(成良なりよし親王。南朝初代後醍醐天皇の皇子)と申して、直義朝臣(足利直義)が先年鎌倉へ申し下し参らせた先帝(第九十六代後醍醐院)第七の宮と、一所に押し籠められておられました所へ、氏光が薬を一包持って参り、「いつとなくこうして打ち籠もっておられますれば、ご病気などの萌すこともおられるかと、三条殿(足利直義)より調進([注文に応じ、品物をととのえて差し上げること])がございました、毎朝一七日(七日間)お召し上がりくださいませ」と申して、御前に差し置きました。


続く
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by santalab | 2014-05-27 07:54 | 太平記 | Comments(0)

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