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「太平記」諸国宮方蜂起の事(その1)

主上しゆしやう山門より還幸くわんかうなり、官軍くわんぐん金崎かねがさきにて皆討たれぬと披露ありければ、今は再び皇威に復せん事、近き世にはあらじと、世挙つて思ひ定めけるところに、先帝また三種さんじゆ神器じんぎを帯して、吉野へ潜幸せんかうなり、また義貞よしさだ朝臣すでに数万騎すまんぎの軍勢を卒して、越前ゑちぜんの国に打ち出でたりと聞こへければ、山門より降参したりし大館おほたち左馬の助氏明うぢあきら、伊予の国へ逃げ下り、土居どゐ得能とくのうが子どもと引き合つて、四国を討ち従へんとす。江田兵部ひやうぶの大夫行義ゆきよしも丹波の国に馳せ来たつて、足立・本庄ほんじやうらを相語あひかたらつて、高山寺かうせんじに立て籠もる。




主上(北朝初代光厳くわうごん天皇)は山門(比叡山)より戻られて、官軍が金崎(現福井県敦賀市にあった金ヶ崎城)で皆討たれたと聞かれました、今は再び皇威に返ることは、近い世にはないと、世の者は思っていましたが、先帝(第九十六代天皇後醍醐院)はまた三種の神器を帯して、吉野(現奈良県吉野郡吉野町)へ潜幸されました、また義貞朝臣(新田義貞)がすでに数万騎の軍勢を卒して、越前国に打ち出たと聞こえたので、山門より降参した大館左馬助氏明(大舘氏明)は、伊予国へ逃げ下り、土居・得能の子どもと協力して、四国を討ち従えようとしていました。江田兵部大夫行義(江田行義)も丹波国に馳せ来て、足立・本庄らを味方に付けて、高山寺(現京都市右京区にある寺)に立て籠もりました。


続く
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by santalab | 2014-05-27 22:40 | 太平記 | Comments(0)

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