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「太平記」諸国宮方蜂起の事(その2)

金谷かなや治部ぢぶ大輔たいふ経氏つねうぢ、播磨の東条とうでうより打ち出で、吉川きつかは・高田が勢を付けて、丹生にふの山陰に城郭じやうくわくを構へ、山陰の中道を差し塞ぐ。遠江のの介は、妙法院めうほふゐんの宮を取り立て参らせて、奥の山に立て籠もる。宇都宮治部の大輔入道は、紀清きせい両党五百余騎を卒して、吉野へ馳せまゐりければ、旧功を捨てざる心ざしを君殊に叡感あつて、すなはちこれを還俗げんぞくせさせられ四位しゐ少将せうしやうにぞなされける。この外四夷しい八蛮はちばん、ここかしこよりこるとのみ聞こへしかば、先帝旧労きうらうの功臣、義貞よしさだ恩顧の軍勢ら、病雀びやうじやく花を喰らうて飛揚ひやうの翼を伸べ、轍魚てつぎよ雨を得てげんぐうのくちびるを湿ほすと、悦び思はぬ人もなし。




金谷治部大輔経氏(金谷経氏)は、播磨の東条(現兵庫県加東市)より打ち出て、吉川・高田の勢を付けて、丹生(現神戸市北区にある丹生山)の山陰に城郭(丹生山城)を構え、山陰の中道を塞ぎました。遠江井介(井伊道政みちまさ)は、妙法院の宮(後醍醐天皇の皇子宗良むねよし親王の子、尹良ゆきよし親王?)を擁して、奥の山(現静岡県浜松市にあった井伊城)に立て籠もりました。宇都宮治部大輔入道(宇都宮公綱きんつな)は、紀清両党([宇都宮氏の家中の精鋭として知られた武士団])五百余騎を卒して、吉野(現奈良県吉野郡吉野町)へ馳せ参りました、旧功を捨てざる心ざしを君(南朝初代後醍醐天皇)はたいそう感じられて、すぐにこの者を還俗させて四位少将にされました。この外四夷八蛮([中国の周辺地域に存在する異民族。東夷,北狄,南蛮,西戎])が、あちらこちらより蜂起すると聞こえたので、先帝(第九十六代後醍醐院)旧労の功臣、義貞(新田義貞)恩顧の軍勢たちは、病雀が花を食べて飛揚の翼を伸ばし、轍魚([わだちの水たまりで苦しんでいる魚の意])が雨を得て、唇を湿おすと、よろこばない者はいませんでした。


続く
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by santalab | 2014-05-27 23:03 | 太平記 | Comments(0)

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