Santa Lab's Blog


「太平記」師賢登山の事付唐崎浜合戦の事(その2)

懸かりけれども、六波羅にはいまだかつてこれを知らず。夜明けければ東使両人とうしりやうにん内裏へ参じて、先づ行幸ぎやうがうを六波羅へ成し奉らんとて打ち立ちけるところに、浄林房じやうりんばうの阿闍梨豪誉がうよが許より、六波羅へ使者を立て、「今夜の寅の刻に、主上山門を御頼みあつて臨幸成りたる間、三千の衆徒しゆとことごとく馳せ参り候ふ。近江あふみ越前ゑちぜんの御勢を待ちて、明日みやうにちは六波羅へ被寄べき由評定ひやうじやうあり。事のおほきに成り候はぬ先に、急ぎ東坂本へ御勢を被向候へ。豪誉後詰め仕りて、主上をば取り奉るべし」とぞまうしたりける。りやう六波羅大きに驚いて先づ内裏へ参じて見奉るに、主上は御坐なくて、ただ局町つぼねまち女房にようばうたちここかしこに差し集ひて、泣く声のみぞしたりける。「さては山門へ落ちさせ給ひたる事子細なし。勢付かぬさきに山門を攻めよ」とて、四十八箇所しじふはつかしよかがりに畿内五箇国の勢を差し添へて、五千余騎追手おふて寄手よせてとして、
赤山せきさんの麓、下松さがりまつの辺へ差し向けらる。




けれども、六波羅はまだこれを知りませんでした。夜が明けて東使両人(二階堂高元たかもと・長井遠江守)が内裏に参り、まず後醍醐天皇をへ移そうと立ちところに、浄林房阿闍梨豪誉の許より、六波羅へ使者を立てて、「今夜の寅の刻(午前四時頃)に、主上(第九十六代後醍醐天皇)が山門(比叡山)を頼られて臨幸され、三千の衆徒([僧])は一人残らず馳せ参りました。近江・越前の勢を待って、明日は六波羅へ攻め寄せるとの評定がありました。一大事にならぬ前に、急ぎ東坂本(現滋賀県大津市)に勢を向かわせられますよう。豪誉も後詰め([敵の背後に回って攻めること])として、主上(後醍醐天皇)を捕らえましょう」と申しました。両六波羅(北方・南方)はたいそう驚いてまずは内裏に参って見れば、主上はおられず、ただ局町の女房たちがあちらこちらに集まって、泣く声を上げているばかりでした。「さては山門へ落ちられたのは間違いない。勢が付かぬ前に山門を攻めよ」と、四十八箇所の篝火に畿内五箇国の勢を差し添えて、五千余騎追手の寄せ手として、赤山(現京都市左京区)の麓、下松の辺へ差し向けました。


続く
[PR]
by santalab | 2014-05-29 08:57 | 太平記 | Comments(0)

<< 「承久記」一院隠岐の国へ流され...      「太平記」師賢登山の事付唐崎浜... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
こんにちは。今日はSan..
by 佐藤綾乃 at 18:44
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧