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「太平記」師賢登山の事付唐崎浜合戦の事(その6)

ここに何者とは知らず見物衆けんぶつしゆの中より、年十五六ばかりなる小児こちごの髪唐輪からわに上げたるが、麹塵きぢん筒丸どうまろに、大口おほくちそば高く取り、黄金作こがねづくりの小太刀を抜いて快実に走り懸かり、兜の鉢をしたたかに三打ち四打ちぞ打ちたりける。快実きつと振りかへつてこれを見るに、よはひ二八じはちばかりなる小児こちごの、大眉おほまゆ鉄漿黒かねくろなり。これほどの小児を討ち留めたらんは、法師ほつしの身に取つては情けなし。打たじとすれば、走り懸かり走り懸かり手繁く切りまはりける間、よしよしさらば長刀の柄にて太刀を打ち落として、組み止めんとしけるところを、比叡辻へいつぢの者どもが田のくろに立ち渡つて射ける横矢に、このちご胸板をつと被射抜て、矢庭やにはに伏して死にけり。後にたれぞとたづぬれば、海東が嫡子幸若丸かうわかまろと云ひける小児、父が留め置きけるに依つていくさの伴をばせざりけるが、なほも覚束なくや思ひけん、見物衆けんぶつしゆに紛れて跡に付いて来たりけるなり。幸若をさなしと云へども武士の家に生まれたるゆゑにや、父が討たれけるを見て、同じく戦場せんぢやうに討ち死にして名を残しけるこそあはれなれ。




そこに何者とは知りませんでしたが見物衆の中より、年十五六歳ほどの小児で髪を唐輪([元服前の童子がもとどり から上を二つに分け,頭の上で二つの輪を作るもの])に上げた者が、麹塵([山鳩色。渋い緑色])の筒丸([簡便な鎧])に、大口([袴])のそば高く取り、黄金作りの小太刀([太刀の金具を金銅づくりにしたもの。])を抜いて快実に走りかり、兜の鉢をしたたかに三打ち四打ち打ちました。快実きつと振り返って見れば、齢二八(十六歳)ばかりの小児で、大眉([まゆずみで,太く描いた眉])に鉄漿黒([お歯黒で、歯を黒く染めていること])でした。これほの幼い小児を討ち留めては、法師の身に取って情けのないこと。小児はなおも打とうとして、走り懸かり走り懸かり手繁く切り回したので、快実はならばさらば長刀の柄で太刀を打ち落として、止めさせようとするところに、比叡辻の者どもが田の畔([あぜ])に立って射た横矢([敵の側面から射た矢])に、この児鎧の胸板を射抜かれて、たちまち伏して死にました。後に誰かと訊ねれば、海東(海東左近将監)の嫡子で幸若丸という小児でした、父が留め置いたので軍の伴はしませんでしたが、なおも諦めきれなかったのか、見物衆に紛れて後を付いて来たのでした。幸若丸は幼いといえども武士の家に生まれたからでしょうか、父が討たれたのを見て、同じく戦場に討ち死にして名を残したのはかわいそうなことでした。


続く
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by santalab | 2014-06-01 09:51 | 太平記 | Comments(0)

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