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「太平記」師賢登山の事付唐崎浜合戦の事(その8)

佐々木の三郎判官時信ときのぶ後ろに控へて、「御方討たすな、続けや」と下知げぢしければ、伊庭いば目賀多めかだ・木村・馬淵、三百余騎をめいて懸かる。快実すでに討たれぬと見へけるところに、桂林房けいりんばうの悪讚岐・中房なかのばうの小相摸・勝行房しようぎやうばうの侍従竪者りつしや定快ぢやうくわい金蓮房こんれんばう伯耆はうき直源ぢきげん、四人左右より渡り合うて、切つ先鋒を差し合はせて斬つてまはる。讚岐と直源と同じ所にて討たれにければ、後陣ごぢん衆徒しゆと五十ごじふ余人連れてまた討つて懸かる。唐崎の浜とまうすは東はみづうみにて、そのみぎはくづれたり。西は深田ふけたにて馬の足も立たず、平沙へいさ渺々べうべうとして道せばし。後ろへ取りまはさんとするも叶はず、中に取り籠めんとするも叶はず。されば衆徒も寄せ手もかたみおもてに立つたる者ばかり戦うて、後陣の勢はいたづらに見物してぞ控へたる。




佐々木三郎判官時信(佐々木時信)が後ろに控えて、「味方を討たせるな、続けや」と命じたので、伊庭・目賀多・木村・馬淵の、三百余騎が喚きながら懸かりました。快実がすでに討たれぬと思えるところに、桂林房悪讚岐・中房小相摸・勝行房の侍従竪者定快・金蓮房の伯耆直源、四人左右より渡り合って、切っ先鋒を差し合わせて斬って回りました。讚岐と直源は同じ所で討たれたので、後陣衆徒([僧])五十余人が連れ立って討って懸かりました。唐崎の浜と申す所は東は湖(琵琶湖)で、その水際は斜面になっていました。西は深田で馬の足も立たず、平沙([砂浜])が遥かに広がり道は狭い場所でした。後ろへ馬を向けるのもままならず、中に敵を取り籠めることもできませんでした。こうして衆徒も寄せ手も互いに前面に立っている者ばかりが戦って、後陣の勢はただ見物しているだけでした。


続く
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by santalab | 2014-06-02 08:43 | 太平記 | Comments(0)

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