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「太平記」師賢登山の事付唐崎浜合戦の事(その9)

すでに唐崎にいくさ始まりたりと聞こへければ、御門徒の勢三千余騎、白井しろゐまへ今路いまみちへ向かふ。本院ほんゐんの衆徒七千余人、三の宮林を下り降る。和邇・堅田かただの者どもは、小舟三百余艘よさうに取り乗つて、敵の後ろをさへぎらんと、大津を指して漕ぎまはす。六波羅勢これを見て、敵はじとや思ひけん、志賀の焔魔堂えんまだうまへを横切りに、今路に懸かつて引きかへす。衆徒しゆとは案内者なれば、ここかしこの詰まり詰まりに落ち合うて散々に射る。武士は皆無案内ぶあんないなれば、堀崖ほりがけとも云はず馬を馳せたふして引きかねけるあひだ、後陣に引きける海東が若党わかたう八騎・波多野はたの郎等らうとう十三騎・真野まのの入道父子ふし二人ににん平井ひらゐ九郎主従二騎谷底にして討たれにけり。




すでに唐崎(現滋賀県大津市)で戦が始ったと聞こえたので、門徒(現京都市左京区大原にある三千院?)の勢三千余騎は、白井の前を今路([志賀越道]=[京の七口である荒神口=現京都市上京区。から、近江に至る街道])へ向かいました。本院(現京都市東山区粟田口にある青蓮院?)の衆徒七千余人、三宮林を下り降る。和邇(現滋賀県大津市)・堅田(現滋賀県大津市)の者どもは、小舟三百余艘に取り乗って、敵の後陣を遮ろうと、大津を指して漕ぎ回りました。六波羅勢はこれを見て、敵わないと思ったのか、志賀焔魔堂(現滋賀県大津市小野にある小野篁神社?)の前を横切りに、今路に懸かって引き帰しました。衆徒(後醍醐天皇方)は土地勘があったので、あちらこちらの行き止まりで待ち構えて散々に射ました。武士(鎌倉幕府方)は皆土地勘がなかったので、堀や崖でもないのに馬を馳せ倒して起こしかねたので、後陣の海東(海東左近将監)の若党([若い侍])八騎・波多野(波多野ruby>宣道のぶみち)の郎等([家来])十三騎・真野入道父子二人・平井九郎主従二騎が谷底で討たれました。


続く
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by santalab | 2014-06-02 08:46 | 太平記 | Comments(0)

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