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「太平記」俊基被誅事並助光事(その6)

北の方は助光を待ち付けて、弁殿の行末ゆくへを聞かん事の喜しさに、人目も憚らず、御簾みすより外に出で迎ひ、「いかにや弁殿は、いつ頃に御上り可有との御返事ぞ」と問ひ給へば、助光はらはらとなみだをこぼして、「早や斬られさせ給ひて候ふ。これこそ今際いまはきはの御返事にて候へ」とて、びんの髪と消息せうそくとを差し上げて声もしまず泣きければ、北の方は形見の文と白骨を見給ひて、内へも入り給はず、縁にたふれ伏し、消え入り給ひぬと驚くほどに見へ給ふ。ことわりなるかな、一樹の陰に宿り一河いちがの流れを汲むほども、知られず知らぬ人にだに、別れとなれば名残りをしむ習ひなるに、いはんや連理の契り不浅して、十年余ととせあまりに成りぬるに夢より外はまたもあひ見ぬ、この世の外の別れと聞いて、絶え入り悲しみ給ふぞことわりなる。四十九日とまうすに型の如くの仏事営みて、北の方様を変へ、濃き墨染めに身をやつし、柴のとぼその明け暮れは、亡夫ばうふの菩提をぞとぶらひ給ひける。助光ももとどり切りて、永く高野山かうやさんに閉じ籠もつて、ひとへに亡君ばうくん後生菩提ごしやうぼだいをぞ弔ひ奉りける。夫婦の契り、君臣の儀、亡き跡までも留まりてあはれなりし事どもなり。




北の方は助光を待ち付けて、弁殿(日野俊基としもと)の行末を聞くうれしさに、人目も憚らず、御簾から外に出て迎えて、「どうでしたか弁殿は、いつ頃に上られると申されておられましたか」と訊ねました、助光ははらはらと泪をこぼして「すでに斬られてしまわれました。これが今際の返事でございます」と言って、鬢([耳ぎわの髪])の髪と消息([文])を差し上げて声も惜しまず泣きました、北の方は形見の文と白骨を見て、内へも入ることができずに、縁に倒れ伏し、消え入ったかと驚くほどでした。条理というものでしょうか、一樹の陰に宿り同じ流れを汲む者でも、名も知らぬ人でさえ、別れとなれば名残りを惜しむものですが、言うまでもなくいはんや連理([夫婦・男女の間の深い契り])の契り浅からずして、十年余りでしたが今は夢より外に再び逢うことも叶わぬ、この世の外の別れと聞いて、絶え入るまでに悲しむのも道理でした。四十九日には形式通り仏事を営んで、北の方は様を変え、濃き墨染め([法衣])に身をやつし、柴の扉([草庵])の明け暮れに、亡夫の菩提([死後の冥福])を弔いました。助光も髻([髪])を切って、生涯高野山に閉じ籠もって、ひたすら亡君後生菩提を弔いました。夫婦の契り、君臣の儀、亡き後までも留まって哀れなものでした。


続く


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by santalab | 2014-06-04 08:28 | 太平記 | Comments(0)

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