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「太平記」赤坂城軍の事(その1)

遥々と東国より上りたる大勢おほぜいども、いまだ近江あふみの国へも入らざるさきに、笠置かさぎの城すでに落ちければ、無念の事に思うて、一人いちにんも京都へは不入。あるひは伊賀・伊勢の山を経、あるひは宇治うぢ醍醐だいごの道を横切つて、楠木兵衛ひようゑ正成まさしげが立て籠もりたる赤坂の城へぞ向かひける。石川河原いしかはかはらを打ち過ぎ、城の有様を見遣れば、にはかにこしらへたりと思えてはかばかしく堀をも掘らず、わづかに屏一重ひとへ塗つて、はう一二町いちにちやうには過ぎじと思えたるその内に、やぐら二三十がほど掻き並べたり。これを見る人毎に、あなあはれの敵の有様や、この城我らが片手に載せて、投ぐるとも投げつべし。あはれせめて如何なる不思議にも、楠木が一日こらへよかし、分捕り高名かうみやうして恩賞にあづからんと、思はぬ者こそなかりけれ。




遥々と東国より上る大勢どもでしたが、まだ近江の国へも入らぬ前に、笠置城(現京都府相楽郡笠置町)はすでに落ちて、無念だと、一人も京都へは入ることはありませんでした。ある者は伊賀(現三重県西部)・伊勢(現三重県の大半)の山を経、ある者は宇治(現京都府宇治市)・醍醐(現京都市伏見区)の道を横切って、楠木兵衛正成(楠木正成)が立て籠もっている赤坂城(現大阪府南河内郡千早赤阪村にあった山城)へ向かいました。石川河原(石川は現大阪府南部を流れる川)を打ち過ぎ、城の有様を見遣れば、急いで作ったように思えてたいして堀も掘らず、わずかに屏を一重立てて、四面一二町(約1〜200m)には過ぎないと見えるその内に、櫓が二三十ほど並べて立っていました。これを見る人は皆、なんとかわいそうなことよ、こんな城なら我らの片手に乗せて、投げようと思えば投げることができよう。ああなんとかして、楠木(正成)よ一日ばかりはこらえてくれ、我らが分捕りして名を上げ恩賞与かるまで、と思わない者はいませんでした。


続く
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by santalab | 2014-06-08 08:15 | 太平記 | Comments(0)

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