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「太平記」持明院殿御幸六波羅の事

世上せじやう乱れたる時節をりふしなれば、野心の者どもの取り参まゐらする事もやとて、昨日きのふ二十七日の巳の刻に、持明院ぢみやうゐん本院ほんゐん春宮とうぐう両御所りやうごしよ六条ろくでう殿より、六波羅の北の方へ御幸ごかうなる。供奉ぐぶの人々には、今出川いまでがはさきの右大臣兼季かねすゑ公・三条さんでうの大納言通顕みちあき西園寺さいをんじの大納言公宗きんむね・日野の前の中納言資名すけな防城ばうじやう宰相さいしやう経顕つねあき・日野の宰相資明すけあきら、皆衣冠いくわんにて御車の前後に相従あひしたがふ。その外の北面・諸司・恪勤かくごは、大略狩衣の下に腹巻を着輝きかかやかしたるもあり。洛中須臾しゆゆ反化へんくわして、六軍りくぐん翠花すゐくわを警固し奉る。見聞耳目けんもんじぼくを驚かせり。




世の中は乱れて、野心を持つ者どもに捕らわれることもあろうかと、昨日二十七日の巳の刻([午前十時頃])に、持明院本院(第九十三代後伏見院と第九十五代花園院)・春宮(北朝初代光厳くわうごん天皇)両御所は、六条殿より、六波羅の北の方へ移られました。供奉の人々には、今出川前の右大臣兼季公(今出川兼季)・三条大納言通顕(源通顕?)・西園寺大納言公宗(西園寺公宗)・日野前中納言資名(日野資名)・防城宰相経顕(勧修寺経顕)・日野宰相資明(日野資明)、皆衣冠([平安時代以降の貴族や官人の宮中での勤務服])で車の前後に従いました。その外の北面([北面の武士]=[院御所の北面(北側の部屋)の下に詰め、上皇の身辺 を警衛、あるいは御幸に供奉した武士])・諸司・恪勤([院・親王家・大臣家などに仕えた武士])は、ほとんど狩衣の下に腹巻([鎧])を付けていました。洛中はたちまちに変化して、六軍([中国、周代の軍制で、天子の統率した六個の軍])が翠花([天子の旗])を警固しました。見聞きする者は耳目を驚かせました。


続く
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by santalab | 2014-06-08 21:51 | 太平記 | Comments(0)

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