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「太平記」主上臨幸依非実事山門変儀の事付紀信事(その1)

山門の大衆だいしゆ唐崎の合戦に打ち勝つて、事始めよしと喜び合へる事なのめならず。ここに西塔さいたふ皇居くわうきよに被定る条、本院面目なきに似たり。寿永じゆえいいにしへ後白河ごしらかはゐん山門を御頼みありし時も、先づ横川よかはへ御登山ありしかども、やがて東塔とうたふの南谷、円融坊ゑんゆうばうへこそ御移りありしか。かつうは先蹤ぜんじようなり、かつうは吉例なり。早く臨幸りんかうを本院へ可成奉と、西塔院さいたふゐんへ触れ送る。西塔の衆徒しゆと理にれて、仙蹕せんびつを促さん為に皇居に参列す。折節をりふし深山下みやまをろし激しうして、御簾ぎよれんを吹き上げたるより、竜顔りようがんを拝し奉りたれば、主上にてはをわしまさず、ゐんの大納言師賢もろかたの、天子の袞衣こんえちやくし給へるにてぞありける。大衆だいしゆこれを見て、「こはいかなる天狗の所行しよぎやうぞや」と興を覚ます。その後よりは、参る大衆だいしゆ一人もなし。かくては山門いかなる野心をか存ぜんずらんと思へければ、その夜の夜半ばかりに、ゐんの大納言師賢もろかた四条しでうの中納言隆資たかすけ二条にでう中将ちゆうじやう為明ためあきら、忍んで山門を落ちて笠置かさぎ石室いはやへ被参る。




山門の大衆([僧])は唐崎(現滋賀県大津市唐崎)の合戦に打ち勝って、事始めよしとよろこび合うこと尋常ではありませんでした。ここに西塔(比叡山西塔)を皇居に定められること、本院(第九十三代後伏見院)の面目は丸潰れでした。寿永の昔、後白河院(第七十七代天皇)が山門(比叡山)を頼られた時も、まず横川へ登られましたが、やがて東塔の南谷、円融坊にお移りになられました。ひとつは先蹤([前例])、ひとつは吉例でした。早く臨幸を本院へなされるよう、西塔院へ触れ送りました。西塔の衆徒([僧])しゆと理に従い、仙蹕([行幸の行列])に連なるために皇居に参列しました。ちょうど深山下ろしが激しく吹いて、御簾を吹き上げたので、竜顔([天子の顔])が見えましたが、主上ではなく、尹大納言師賢(尹師賢)が、天子の袞衣([唐風の天皇衣装])を着ていました。大衆([僧])はこれを見て、「これはいったいどういうことだ天狗の仕業か」と興を覚ましました。その後は、参る大衆は一人もいませんでした。こうなっては山門がどんな野心を持つものかと思われて、その夜の夜半ばかりに、尹大納言師賢(尹師賢)・四条中納言隆資(四条隆資)・二条中将為明(二条為明)は、忍んで山門を落ちて笠置(現京都府相楽郡笠置町)の石室へ参りました。


続く
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by santalab | 2014-06-08 22:07 | 太平記 | Comments(0)

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