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「太平記」主上臨幸依非実事山門変儀の事付紀信事(その6)

紀信大きに悦うで、みづから漢王の御衣ぎよいちやくし、黄屋くわうをくの車に乗り、左纛さたうを付けて、「高祖かうその罪をしやして、楚の大王だいわうかうす」と呼ばはりて、じやうの東門より出でたりけり。楚のつはものこれを聞いて、四面の囲みを解いて一所に集まる。軍勢皆万歳ばんぜいを唱ふ。このあひだに高祖三十余騎を従へて、城の西門さいもんより出でて成皐せいかうへぞ落ち給ひける。夜明けて後楚に降る漢王を見れば、高祖にはあらず。その臣に紀信きしんと云ふ者なりけり。項羽かううおほきに怒つて、つひに紀信を刺し殺す。高祖やがて成皐のつはものを卒して、かへつて項羽を攻む。項羽が勢ひ尽きて後遂に烏江をうかうにして討たれしかば、高祖長く漢の王業わうげふを起こして天下のあるじと成りにけり。今主上しゆしやうも懸かりし佳例かれいを思し召し、師賢もろかた加様かやうの忠節を被存けるにや。かれは敵の囲みを解かせん為にいつはり、これは敵のつはものさへぎらん為にはかれり。和漢時異なれども、君臣ていを合はせたる、まことに千載一遇せんざいいちぐう忠貞ちゆうてい頃刻変化きやうこくへんくわの智謀なり。




紀信(中国の秦末の武将。漢の劉邦に仕えた)はたいそうよろこんで、漢王(劉邦)の御衣を着て、黄屋([昔、中国で天子 の乗る車をおおうきぬがさ])の車に乗り、左纛([天子の乗輿の左にたてられる旗])を立てて、「高祖(劉邦)の罪を謝して、楚の大王(項羽)に降だる」と大声上げて、城の東門から出ました。楚の兵はこれを聞いて、四面の囲みを解いて一所に集まりました。軍勢皆万歳を唱えました。この間に高祖は三十余騎を従えて、城の西門から出て成皐(現河南省滎陽けいやう市)に逃げました。夜が明けて楚に降った漢王を見れば、高祖ではありませんでした。高祖の臣の紀信という者でした。項羽はたいそう怒って、遂に紀信を刺し殺す(紀信は火刑にされたらしい)。高祖はすぐに成皐の兵を連れて、項羽を攻めました。項羽の勢いは尽きて遂に烏江(現中国安徽あんき省東部)で討たれて、高祖(劉邦)は長く漢の王業を起こして天下の主となりました(前漢初代皇帝)。今主上(第九十六代後醍醐天皇)もこの佳例([吉例])を思われて、師賢(花山院師賢)も同じ忠節を持っていたのでしょう。紀信は敵の囲みを解くために偽り、師賢は敵の兵を防ぐために謀ったことでした。和漢時は異なれど、君臣の体は同じものでした、まことに千載一遇([二度と来ないかもしれないほど恵まれた状態])の忠貞は、頃刻([しばらくの間])を稼ぐための智謀でした。


続く
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by santalab | 2014-06-08 22:28 | 太平記 | Comments(0)

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