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「太平記」俊基朝臣再関東下向の事(その4)

隙行く駒の足早み、日すでに亭午ていごに昇れば、かれひまゐらするほどとて、輿を庭前ていぜんに舁き止む。ながえを叩いて警固の武士を近付け、宿の名を問ひ給ふに、「菊川きくかはまうすなり」と答へければ、承久しようきうの合戦の時、院宣ゐんぜん書きたりしとがに依つて、光親みつちかきやう関東へ召し下されしが、この宿にて誅せられし時、

昔南陽懸菊水。汲下流而延齢。今東海道菊河。宿西岸而終命。

と書きたりし、遠き昔の筆の跡、今は我が身の上になり。あはれやいとど増さりけん、一首の歌をえいじて、宿の柱にぞ書かれける。
いにしへも かかるためしを 菊川の 同じ流れに 身をや沈めん




隙行く駒([年月の早く過ぎ去ることのたとえ])のたとえ通り月日はあっという間に過ぎて、日はすでに亭午([日が南中すること。正午])に昇れば、餉([炊いた米を乾燥させたもの。旅行などに携帯した])を参らせる時刻となって、輿を庭前に舁き止めました。轅を叩いて警固の武士を近付け、宿の名を訊ねると、「菊川(現静岡県島田市菊川)と申す所です」と答えたので、俊基としもと(日野俊基)は承久の合戦の時、院宣を書いた罪により、光親卿(葉室光親)は関東へ下されましたが、この宿で誅殺される時、

昔南陽県(河南省南陽)の菊水(不老長生の霊泉)で、水を汲んで飲めば齢を永らえたという。今東海道の菊川の、西岸の宿でわたしは命を失う。

と書いた、遠い昔の筆の跡も、今は我が身の上となりました(『承久記』)。悲しみがいっそう増さったのか、一首の歌を詠んで、宿の柱に書きました。
昔のみ、同じ境遇の人が、この菊川の同じ流れに身を沈めたというが、果たしてわたしも同じようにここで命を失うのであろうか。


続く
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by santalab | 2014-06-09 22:01 | 太平記 | Comments(0)

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