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「太平記」俊基朝臣再関東下向の事(その5)

大井川おほゐがはを過ぎ給へば、都にありし名を聞きて、亀山殿の行幸ぎやうがうの、嵐の山の花盛り、竜頭鷁首りようどうげきしゆの舟に乗り、詩歌管絃しいかくわんげんの宴にはんべりし事も、今は再び見ぬ夜の夢と成りぬと思ひ続け給ふ。島田しまだ藤枝ふぢえだに懸かりて、岡辺をかべ真葛まくず末枯うらがれて、物悲しき夕暮れに、宇都うつの山辺を越え行けば、蔦楓つたかへでいと茂りて道もなし。昔業平なりひら中将ちゆうじやうの住み所を求むとて、あづまの方に下るとて、「夢にも人に逢はぬなりけり」と詠みたりしも、かくやと思ひ知られたり。




大井川(現静岡県を流れる川)を過ぎれば、都でその名を聞いて、亀山殿(第五十二代嵯峨天皇が現京都府京都市右京区に造った離宮。嵯峨殿)の行幸の、嵐山の花盛り、竜頭鷁首([竜の彫り物や鷁の 頭を船首・船側につけた船。天子や貴人の乗る船])の舟に乗り、詩歌管絃の宴の供をしたことも、今は再び見ぬ夜の夢となってしまったと思い続けるのでした。島田(現静岡県島田市)、藤枝(現静岡県藤枝市)にかかれば、岡辺(現静岡県藤枝市岡部町)の真葛は末枯れ([冬が近づき 、草木の枝先や葉先が枯れること])て、物悲しい夕暮れに、宇都(現静岡県藤枝市の宇都峠)の山辺を越え行けば、蔦楓がひどく茂って道もなし。昔業平中将(在原業平)が住み所を探して、東国に下りましたが、「夢にも人に逢はぬなりけり」(駿河なる 宇津の山辺の うつつにも 夢にも人に 逢はぬなりけり)と詠んだのみ、このように物寂しく思ってのことだと思い知られるのでした。


続く
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by santalab | 2014-06-09 22:04 | 太平記 | Comments(0)

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