車に乗りて帰る所に、児の叔父四郎左衛門信綱、急ぎ馳せ参つて、「この稚児を御助け候はば、さしもの奉公空しくなして、信綱出家し候ふべし」と支へ申しければ、信綱は今度宇治川の先陣なり、泰時の妹婿なり。方々もつてさし置き難き仁なれば、五条土肥の小路に使ひ追ひ付きて、「かかる仔細ある間、力及ばず、泰時を恨むな」とて召し返しけり。
勢多伽丸たちは車に乗って帰りました、そこへ叔父である四郎左衛門信綱(佐々木信綱)が、急ぎ走り参って、「この子を助けたなら、これまでの奉公が無駄になってしまう、わし信綱は出家するほかない」と反対しました、信綱は今度の宇治川の先陣でしたし、泰時(北条泰時)の妹婿でした。誰も佐々木信綱の言い分を退けることができませんでした、五条土肥小路で使いが追い付いて、「信綱殿がこのように申しておる、どうしようもないことだ、わたし泰時(北条泰時)を恨むでないぞ」と言って車を返しました。
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続く)