ここに斎藤七郎入道道献、垣を阻てて聞きけるが、眉をひそめて潜かに云ひけるは、「これ全くめでたき御夢にあらず。すなはち天の凶を告ぐるにてあるべし。その故は昔異朝に呉の孫権・蜀の劉備・魏の曹操と云ひし人三人、支那四百州を三つに分けてこれを保つ。その心ざし皆二つを亡ぼして、一つに合はせんと思へり。しかれども曹操は才智世に勝れたりしかば、謀を帷帳の内に廻らして、敵を方域の外に防ぐ。孫権は弛張時あつて士を労らひ衆を撫でしかば、国を賊し政を掠むる者競ひ集まつて、邪に帝都を侵し奪へり。劉備は王氏を出でて遠からざりしかば、その心仁義に近くして、利慾を忘るる故に、忠臣孝子四方より来たつて、文教を諮り武徳を行ふ。この人智仁勇の三徳を以つて天下を分けて持ちしかば、呉魏蜀の三都相並んで、鼎の如く峙てり。
ここに斎藤七郎入道道献という者が、垣を阻てて聞いていましたが、眉をひそめて声をひそめて言うには、「これはいい夢ではないぞ。これは天が凶を告げる夢じゃ。その故は昔異朝([中国])に呉の孫権・蜀の劉備・魏の曹操という三人が、支那四百州を三つに分けて領土としておった(後漢後の三国時代)。各々の思いは皆他の二国を亡ぼして、国家を統一したいと思っておったのじゃ。けれども曹操は才智世に勝れておったので、謀略を帷帳([本陣])の内に廻らして、敵を方域([国内])の外で防いだ。孫権は弛張([寛大にすることと厳格にすること])を使い分けて兵を労い民衆を大切にしたので、国を亡ぼし政を掠奪しようとする者が競うように集まって、非道な方法で帝都に侵略し奪い取った。劉備は王氏を離れて遠くなければ(劉備は前漢の初代皇帝劉邦の子孫だと言っていたらしい)、仁義を重んじて、利慾を捨てたので、忠臣孝子が四方より集まり、文教([学問や教育によって人心を導くこと])によって武徳([武士として守るべき徳義])を手に入れたのじゃ。この者たちは智仁勇の三徳をもって天下を分け持ち、呉魏蜀の三都はそれぞれ、鼎([古代中国で用いられた円形三足の器])のように並立しておったのじゃ。
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続く)