虎、涙を止めて申しけるは、「まことにこれまで御入り、夢の心地して、御心ざし、あり難く思ひ参らせ候ふ。斯かる身と成り果てぬるも、しかしながら、十郎殿故と思ひ奉れば、時の間も、忘るる事も侍らず。この世は不定の境、それは愛別離苦の悲しみを翻して、菩提の彼岸に至る事もやと、聖教の要文ども、少々尋ね求め、しかるべき善知識にも遭ひ奉るかと、諸国を修行し、都に上り、法然上人に会ひ奉り、念仏一行を受け、一筋に浄土を願ひ候ふなり。あの尼御前は、我が姉にてましまし候ふ。自らを羨みて、同じともに様を変へ、一つ庵に閉ぢ籠り、行ひ候ふなり。今思ひ候へば、この人は、発心の便りなりけりと、嬉しく思え候ふ。
虎御前(祐成の妾)が、涙を止めて申すには、「本当にここまでお出でいただき、夢のような心地がいたします、お心ざしを、ありがたく存じ上げます。このような身となり果てましたのも、これしかし、十郎殿(祐成)故のことと思えば、わずかの間も、忘れることはありません。この世は不定の境ですれば、愛別離苦の悲しみを越えて、菩提([煩悩を断ち切って悟りの境地に達すること])の彼岸([生死の迷いを河・海にたとえた、その向こう岸])にいたることもあろうかと、聖教([釈迦の説いた教え])の要文([経典の中の,重要な語句])などを、少々知るために、しかるべき善知識([高徳の僧])に遭うこともあろうかと、諸国を修行し、都に上り、法然上人に会い、念仏一行(ただ念仏のみを唱える勤行)の教えを受け、ひたすら浄土(極楽浄土)を願っておるのでございます。あの尼御前は、わたしの姉(年上の女性。手越少将=曽我兄弟の仇、工藤祐経の妾)でございます。わたしを羨んで、同じく様を変え、一つ庵に閉じ籠り、勤行しているのでございます。今思えば、姉(手越少将)が、発心の便りになったと、うれしく思っております。
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続く)