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「太平記」持明院殿御即位の事

元弘げんこう二年三月二十二日に、後伏見のゐんの第一の御子、御年十九にして、天子のくらゐに即かせ給ふ。御母は竹内たけのうちの左大臣公衡きんひらの御娘、後には広義門院くわうぎもんゐんまうせし御事おことなり。同じき十月二十八日に、河原かはらの御はらひあつて、十一月十三日に大嘗会だいじやうゑを被遂行。関白は鷹司たかづかさの左大臣冬教ふゆのり公、別当は日野中納言資名すけなきやうにてぞをはしける。いつしか当今奉公たうぎんほうこうの人々は、皆一時に望みを達して門前市を成し、堂上だうじやう花の如し。中にも梶井かぢゐ二品にほん親王しんわうは、天台の座主に成らせ給ひて、大塔おほたふ・梨本の両門跡を合はせて、御管領くわんりやうありしかば、御門徒の大衆だいしゆ群集くんじゆして、御拝堂はいだうの儀式厳重げんちよう。しかのみならず御室おむろの二品親王法守ほふしゆ仁和寺にんわじの御門跡に御移りあつて、東寺一流いちりう法水ほつすゐたたへて、北極万歳ばんぜいの聖運を祈り給ふ。これ皆後伏見のゐんの御子、今上きんじやう皇帝の御連枝なり。




元弘二年(1332)の三月二十二日に、後伏見院(第九十三代天皇)の第一皇子(量仁かずひと親王)が、御年十九で、天子の位に即かれました(北朝初代光厳くわうごん天皇)。御母は竹内左大臣公衡(西園寺公衡)の御娘(西園寺寧子やすこ)、後に広義門院呼ばれたお方でした。同じ元弘二年十月二十八日に、鴨河原の禊祓みそぎはらへがあって、十一月十三日に大嘗会([天皇が即位後初めて行う新嘗祭])が執り行われました。関白は鷹司左大臣冬教公(鷹司冬教)、別当は日野中納言資名卿(日野資名)でした。いつしか当今(光厳天皇)に仕える人々は、皆一時に望みを達して門前市をなし、堂上は花のように華やかでした。中でも梶井二品親王(後伏見院の第六皇子、承胤しよういん法親王)は、天台座主になられて、大塔(高野山)・梨本(現京都市左京区にある三千院)の両門跡を合わせて、管領([領有し、支配すること])されたので、門徒の大衆([僧])が群れ集まって、拝堂([住持・座主などが交替した時、寺院本堂の本尊仏を、新任の僧が拝礼する儀式])の儀式が厳かに執り行われました。こればかりでなく御室の二品親王法守(後伏見院の第二皇子、法守法親王)は、仁和寺(現京都市右京区にある寺)の門跡に移られて、東寺一流の法水を湛えて、北極([天子の位])万歳([いつまでも生きたり、栄えたりするよう祝う語])の聖運を祈られました。これらは皆後伏見院の皇子、今上皇帝(光厳天皇)の連枝([身分の高い人の兄弟姉妹])でした。


続く
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by santalab | 2014-06-15 08:35 | 太平記 | Comments(0)

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