Santa Lab's Blog


「太平記」相摸入道弄田楽並闘犬の事(その1)

またその頃洛中に田楽をもてあそぶ事盛んにして、貴賎こぞつてこれにぢやくせり。相摸入道この事を聞き及び、新座・本座の田楽を呼び下して、日夜朝暮にちやてうぼに弄ぶ事無他事。入興じゆきようの余りに、宗との大名たちに田楽法師でんがくぼふしを一人づつあづけて装束しやうぞくを飾らせける間、これは誰がし殿の田楽、かれは何がし殿の田楽なんど云ひて、金銀珠玉きんぎんしゆぎよくたくましくし綾羅錦繍りようらきんしうを飾れり。宴に臨んで一曲を奏すれば、相摸入道にふだうを始めとして一族の大名我劣らじと直垂ひたたれ大口おほくちを脱いで投げ出だす。これを集めて積むに山の如し。そのそのつひへ幾千万と云ふ数を不知。ある夜一献のありけるに、相摸入道数盃すはいを傾け、ひにくわして立ちて舞ふ事やや久し。若輩じやくはいの興を勧むる舞にてもなし。また狂者のことばを巧みにするたはむれにもあらず。四十有余しじふいうよの古入道、酔狂すゐきやうの余りに舞ふ舞なれば、風情可有とも思えざりけるところに、いづくより来たるとも知らぬ、新座・本座の田楽どもじふ余人、忽然として座席に連なつてぞ舞ひ歌ひける。その興はなはだ世の常に越えたり。しばらくあつて拍子ひやうしを替へて歌ふ声を聞けば、「天王寺てんわうじのや妖霊星ようれぼしを見ばや」とぞ囃しける。




またその頃洛中では田楽([初め民間の農耕芸能から出て、平安時代に遊芸化された芸能])を楽しむことがはやって、貴賎の者は皆田楽をたしなみました。相摸入道(北条高時たかとき。鎌倉幕府第十四代執権)はこれを聞いて、新座([ 田楽・猿楽などで、本座に対して新しく結成した座])・本座([田楽や猿楽で、新しく成立した新座に対して、もとからあった座])の田楽を鎌倉に呼び下して、日夜朝暮田楽ばかりを楽しみました。興に入るあまりに、主だった大名たちに田楽法師([田楽を演じることを専門の仕事とした僧形の芸人])を一人ずつ預けて装束などを飾らせました、これはだれだれ殿の田楽、あればなんとかという殿の田楽などと言って、金銀珠玉を身に付け、綾羅錦繍([美しい衣服])を着せました。宴を催して一曲を奏せば、相摸入道(北条高時)をはじめとして一族の大名たちは我はと直垂([衣]・大口([袴])を脱いで投げ出しました。これを集めて積めば山のようでした。その費えは幾千万という数を知りませんでした。ある夜一献があって、相摸入道は数盃を傾け、酔って立ちしばらく舞を舞いました。若輩([ 年が若い者])がよろこぶような舞ではありませんでした。また狂者([風雅に熱中する人])がふざけて舞う舞でもありませんでした。四十を過ぎた古入道が、酔狂して舞う舞でしたので、風情があるとも思えませんでしたが、どこより来たとも知れぬ、新座・本座の田楽ども十余人が、いつの間にか座席に連なって舞い歌いました。そのおもしろさは世の常に越えていました。しばらくして拍子を変えて歌う声を聞けば、「天王寺(現大阪市天王寺区にある四天王寺)の妖霊星([凶事の前兆 として現われる妖しい星])を見よ」と囃していました。


続く
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by santalab | 2014-06-15 12:39 | 太平記 | Comments(0)

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