Santa Lab's Blog


「太平記」大塔宮熊野落の事(その5)

丹誠たんぜい無二の御勤め、感応などかあらざらんと、神慮もあんに被計たり。夜もすがらの礼拝に御窮屈ありければ、御ひぢを曲げて枕としてしばらく御まどろみありける御夢に、びんづら結うたる童子一人来たつて、「熊野三山の間はなほも人の心不和にして大儀成り難し。これより十津川とつがはの方へ御渡りさふらひて時の至らんを御待ち候へかし。両所権現より案内者に被付進て候へば御道道しるべ可仕候」と申すと被御覧御夢はすなはち覚めにけり。これ権現の御告げなりけりと頼もしく被思召ければ、未明びめいに御悦びの奉弊を捧げ、やがて十津川をたづねてぞ分け入らせ給ひける。その道のほど三十さんじふ余里が間には絶えて人里もなかりければ、あるひは高峯たかねの雲に枕をそばだてて苔のむしろに袖を敷き、あるひは岩漏る水にかつを忍んで朽ちたる橋に肝を消す。山路本より雨なうして、空翠くうすゐ常に衣を湿うるほす。向上かうじやうと見上ぐれば万仞ばんじん青壁せいへきつるぎけづり、直下ちよくかと見下ろせば千丈の碧潭へきだんあゐに染めり数日すじつあひだ斯かる険難けんなんを経させ給へば、御身もくたびれ果てて流るる汗如水。御足は欠け損じて草鞋わらぢ皆血に染まれり。御伴の人々も皆その身鉄石てつせきにあらざれば、皆飢ゑ疲れてはかばかしくも歩み得ざりけれども、御腰を推し御手を引いて、路のほど十三日に十津川へぞ着かせ給ひける。




丹誠込めて祈り申したので、たちまち感応([信心が神仏に通じること])あって、神慮([神のおぼしめし])を示されました。夜通しの礼拝に疲れて、大塔の宮(護良もりよし親王。第九十六代後醍醐天皇の皇子)が肘を曲げて枕にしてしばらくまどろんだ夢に、鬟([髪])を結った童子が一人現れて、「熊野三山はなおも人の心はそれぞれで大儀を成すことはできません。ここから十津川(現奈良県吉野郡吉野町)の方へ渡られて、時が来るのをお待ちなさい。両所権現([熊野本宮大社・熊野速玉大社に祀られる十二柱の神のうち、第一殿=西宮・第二殿=中宮。の祭神])より案内者を付けて道案内をさせましょう」と申すと夢から覚めました。これは権現の告げに違いないと頼もしく思われて、未明によろこびのの奉弊を捧げ、すぐに十津川を尋ねて分け入りました。その道のほど三十余里の間はまったく人里もなく、ある時は高峯の雲に枕を立てて苔の筵に袖を敷き、ある時は岩から漏れる水にのどの渇きを癒し朽ちた橋に肝を冷やしました。山路はもともと雨がなく、空翠([ 深山の緑の樹林の間に立ちこめる、みずみずしい山気])が衣を濡らしました。見上げれば万仞([非常に高いこと])の青壁が剣のように立ち、見下ろせば千丈の碧潭([水があおあおとしている深い淵])が藍染のようでした。数日の間こうして険難([道などが非常にけわしく、通過するのに困難なこと])を経て、身もくたびれ果てて流れる汗は川水のようでした。足は傷付いて草鞋は皆血に染まりました。伴の人々も皆その身は鉄石ではありませんでしたので、皆飢え疲れて満足に歩むことも叶いませんでしたが、大塔の宮の腰を押し手を引いて、路のほど十三日にして十津川に着きました。


続く
[PR]
by santalab | 2014-06-15 20:50 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」大塔宮熊野落の事(その6)      「太平記」大塔宮熊野落の事(その4) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧