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「太平記」大塔宮熊野落の事(その15)

跡に続いて追ひける者どもも、これを見て敢へて近付く者一人もなし、ただ遠矢に射すくめけれ、片岡八郎矢二筋ふたすぢ被射付て、今は助かり難しと思ひければ、「や殿、矢田殿やだどの、我はとても手負うたれば、ここにて討ち死にせんずるぞ。御辺は急ぎ宮の御方へ走りまゐりて、この由を申まうして、ひとまども落としまゐせせよ」と、再往さいわう強ひ云ひければ、矢田も一所にて討ち死にせんと思ひけれども、げにも宮に告げ申さざらんは、かへつて不忠なるべければ、無力ただ今討ち死にする傍輩はうばいを見捨てて帰りける心の内、被推量てあはれなり。矢田遥かに行き延びて跡をかへり見れば、片岡八郎早や被討ぬと見へて、首を太刀の切つ先に貫いて持ちたる人あり。矢田急ぎ走り帰つてこの由を宮に申しければ、「さては遁れぬ道に行き迫りぬ。運の窮達きゆうたつ歎くに無詞」とて、御伴の人々に至るまで中々騒ぐ気色ぞなかりける。さればとてここに可留にあらず、行かれんずる所まで行けやとて、上下じやうげ三十さんじふ余人のつはものども、宮をさきに立てまゐらせて問ひ問ひ山路をぞ越え行きける。すでに中津川なかつがはたうげを越えんとし給ひけるところに、向かうの山の両の峯に玉置たまぎが勢と思えて、五六百人がほど直兜ひたかぶとよろうて、楯を前に進め射手を左右へ分けて、鬨の声をぞ上げたりける。




後に続いて追っていた者どもも、これを見てあえて近付く者は一人もいませんでした、ただ遠矢に射すくめられて、片岡八郎は矢二本射られて、今は助かり難く思えば、「や殿、矢田殿(矢田彦七)よ、わたしはひどく手負うて、ここで討ち死にしようと思う。お主は急ぎ大塔の宮(護良もりよし親王。第九十六代後醍醐天皇の皇子)の許に走り参って、このことを申し上げて、ひとまず落ちられよ」と、何度も強く言ったので、矢田も一所で討ち死にしようと思いましたが、たしかに大塔の宮に火急を申し上げないのは、不忠になると、仕方なく今にも討ち死にする傍輩([仲間])を見捨てて返る胸の内が、推し量られて哀れでした。矢田は遥か行き延びて後ろを振り返ると、片岡八郎は早くも討たれたように見えて、首を太刀の切っ先に貫いて持つ者がいました。矢田は急ぎ走り帰ってこれを大塔の宮に申し上げると、「遁れられぬ道に入り込んだか。運の窮達([おちぶれることと栄えること])に嘆くことはない」と申して、伴の者たちに至るまで騒ぐことはありませんでした。とはいえここに留まっているわけにもいかなかったので、進めるところまで進めと、上下三十余人の兵は、大塔の宮を前に立てて尋ね尋ね山路を越えて行きました。すでに中津川の峠(現奈良県吉野郡野迫川のせがは村中津川)を越えようとするところに、向こうの山の両峯に玉置(玉置庄司)の勢と思われて、五六百人ほどが直兜([全員が、鎧・兜を着用して身を固めること])に身を纏い、楯を前に並べ射手を左右に分けて、鬨の声を上げました。


続く
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by santalab | 2014-06-15 22:24 | 太平記 | Comments(0)

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