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「太平記」大塔宮熊野落の事(その18)

その後野長瀬のながせ兄弟、兜を脱ぎ弓を脇に差し挟みて遥かにかしこまる。宮の御前おんまへ近く被召て、「山中の為体ていたらく、大儀の計略難叶かるべき間、大和・河内かはちの方へ打ち出でて勢を付けん為に、令進発之処に、玉置庄司しやうじただ今の振る舞ひ、当手たうての兵万死の内に一生いつしやうをも得難しと思えつるに、不慮の助けに逢ふ事天運なほ頼みあるに似たり。そもそもこの事何として存知ぞんぢたりければ、この戦場に馳せ合つて、逆徒げきとの大軍をばなびかしぬるぞ」と御たづねありければ、野長瀬畏つてまうしけるは、「昨日さくじつの昼ほどに、年十四五ばかりにさふらひしわらはの、名をば老松おいまつといへりと名乗りて、『大塔おほたふの宮明日みやうじつ十津川とつがはを御出であつて、小原をばらへ御とほりあらんずるが、一定いちぢやう道にて難に逢はせ給ひぬと思ゆるぞ、心ざしをそんぜん人は急ぎ御迎ひに参れ』と触れまはさふらひつる間、御使ひぞと心得てまゐつて候ふ」とぞまうしける。




その後野長瀬兄弟は、兜を脱ぎ弓を脇に差し挟み遥かに畏りました。大塔の宮(護良もりよし親王。第九十六代後醍醐天皇の皇子)は御前近くに呼んで、「山中のこの有様では、大儀の計略も計り難く、大和・河内の方へ出て勢を付けようと思うて、向かうところに、玉置庄司([鎌倉時代中期ころから台頭した紀伊国の武士団で十津川郷士])のただ今の振る舞い、当手の兵は万死して一生も得難く思えたが、思いのほかの助け天運なおも頼みあるように思える。そもそも我らがここにいることをどのように知り、この戦場に急ぎ来て、逆徒の大軍を追い払うことができたのじゃ」と訊ねると、野長瀬が畏まり申すには、「昨日の昼ごろに、年十四五ばかりの童が、名を老松と名乗って、『大塔の宮が明日十津川に向かわれて、小原(現奈良県吉野郡十津川村小原)を通られるが、必ずや道中で災難に遭われることでしょう、心を寄せる人は急ぎお迎えに参りなさい』と触れ回ったので、宮のお使いと思って参ったのでございます」と申しました。


続く
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by santalab | 2014-06-16 07:50 | 太平記 | Comments(0)

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