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「太平記」大塔宮熊野落の事(その19)

宮この事を御思案あるに、直事ただことにあらずと思し召し合はせて、年来御身を放されざりしはだの御まぼりを御覧ずるに、その口少し開きたりける間、いよいよ怪しく思し召して、すなはち開き被御覧ければ、北野の天神の御神体を金銅こんどうにて被鋳進たるそ御眷属けんぞく老松おいまつ明神みやうじんの御神体、遍身へんしんより汗かいて、御足に土の付きたるぞ不思議なる。「さては佳運かうん神慮に叶へり、逆徒げきと退治たいぢ何の疑ひか可有」とて、それより宮は、槙野まきのの上野房かうづけばう聖賢しやうげんこしらへたる、槙野の城へ御入りありけるが、これもなほ分内ぶんないせばくて可悪ると御思案ありて、吉野の大衆だいしゆを語らはせ給ひて、安善宝塔あいぜんはうだふ城郭じやうくわくに構へ、岩切通きりとほす吉野川を前に当てて、三千余騎を随へて立て籠もらせ給ひけるとぞ聞こへし。




大塔の宮(護良もりよし親王。第九十六代後醍醐天皇の皇子)はこの事を思うに、ただ事ではないと思われて、年来身から離さなかった肌のお守りを見れば、お守りの口が少し開いていたので、ますます不思議に思われて、すぐにお守りを開けて見ると、北野天神のご神体を金銅で鋳た眷属([神の使者])である、老松明神のご神体が、遍身([全身])より汗をかいて、足には土がついていましたが不思議なことでした。「さては佳運([幸運])なことに神慮([神のおぼしめし])により、逆徒を退治することができたに違いない」と思って、その後大塔の宮は、槙野上野房聖賢が造った、槙野城に入りましたが、ここもなお手狭でよくないと思われて、吉野の大衆([僧])を味方に付けて、安善宝塔(高野山にあった安禅寺蔵王堂)を城郭として、岩切通す吉野川を前にして、三千余騎を従えて立て籠もられたということです。


続く


by santalab | 2014-06-16 08:10 | 太平記

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