思います。誰にかれも面白い話なんぞをあちらこちらに探して、今日一日でもなどと生きているのですから、「たどり着いたら雨降り」はちとめげますけれども、それでも懲りずにフラフラしていますけれどもね。
「目的の場所」はまるで定かでなくも、きっとその「場所」がそうではないかと願って同時に、決してその地が「約束の場所」ではないことに愕然とするのですが、世の中所詮そんなものさなんて慰めて、けれどももしもそうであるならば、自暴自棄になろうとも、人に恨まれようとも、何ら嘆く価値もないと思ったりなんぞもするのです。
目に映るものは表面ばかり、闇まで続くその心の内は誰にも見えぬ見られぬものなれば。それだけがすべてとも、一番大切だとも思わないけれども、摩訶不思議かつ矛盾に満ちた多次元かつ歪んだ「空間」を一次元減らそうと「投影」するにしろ、ただ一度投影角を誤ればまるで違った結果を生じるものならば、そのまま絵にも書けない「無様」な歪空間(閉じていることは明らかにして)、理解の範疇を超えた「そのまま」に。
「分かってほしい」は永遠のテーマ。