小野では、女はたいそう深く茂った青葉の山に向かい、気が紛れることはありませんでしたが、遣り水の螢ばかりを昔を偲ぶ慰めとして眺め暮らしていました。いつものように女が眺めていると、遥か遠くの谷に見える軒端から前駆が格別の先払いをして、とても数多く灯した火がまばゆいばかりの光を放っていましたので、尼君たちも軒端に出てきました。「いったいどなたでしょう。御前がたいそう数多くおられますよ」「昼に、あちらに引き干しを差し上げましたが返事に、『大将殿【薫】がお訪ねになられて、饗応を急ぎ用意しなくてはなりません、ちょうどよい時に持って来られた』と、申されましたよ」「大将殿とは、女二の宮の夫【柏木】(朱雀院の第二皇女の夫。柏木はすでに亡くなっている。薫大将は、光源氏の次男であるが実は柏木の長男)ではないでしょうか」などと言うのも、たいそう世間から遠く離れた田舎にふさわしいものでした。まったくそのような暮らしぶりだったのでしょう。大将殿は時々、こうして山路を分けて山に上ってていましたが、この度ははっきりと随身の声が思いがけなくも近くに聞こえました。月日は過ぎ行きましたが、女は昔のことを忘れていませんでした。「今さら何を後悔しても仕方のないこと」と思ってもやはりつらくて、阿弥陀仏に悲しみを紛らわして何も言わずにいました。横川に通う人ばかりが、このあたりでは身近な人でした。
(続く)