彼らも、さる者の子にて候へば、御恩を忘れ奉るべきにあらず。遂には、御用にこそ立ち申し候はんずれ」。君聞こし召し、「それも、臣下尊きにあらず。ちやうしが賢に依つてなり」「さらば、某をちやうしと思し召し、彼らを臣下に準へて、御助け候はば、後の御先途にもや、立ち候ひなん。君君たる時は、臣礼を以つてし、臣臣たる時は、君哀れみを残すとこそ、見えて候へ」。頼朝、「彼ら、何の礼かありし」。
彼ら(一萬・筥王)も、武士(河津祐重)の子でありますれば、ご恩を忘れることはよもやありません。遂には、ご用に立つことでぎざいましょう」。君(源頼朝)はこれを聞いて、「その話にしても、臣下がえらかった訳ではなかろう。ちょうしが賢人であったからではないか」「ならば、このわたし(畠山重忠)をちょうしと思われて、彼らを臣下と思いになってください、お助けいただけましたら、必ずや後のお役に、立ちましょう。君が君であれば、臣は礼を尽くし、臣が臣である時は、君は情けをかけられると、物に書かれております」。頼朝は、「彼らが、感謝することなどあろうか」と訊ねました。
(続く)